…2015年7月の西安…


 西安オフィスの美化

 現在の西安オフィスへ移ってから8年が経過、天井も黒ずんできた。窓の隙間から侵入してくる埃が原因だ。家主と相談して、元の白さに天井を蘇らせることにした。これまで塗装を頼んできた業者では、自分でやる作業が多過ぎる。そこで、作業一式を請け負ってくれる業者を探してみることにした。

 

 シンガポールに本社がある業者の、「お客様には一切手間をお掛けしません。」と書かれたポスターが貼られていた。希望するサービスを提供してくれそうだ。話を聞いてみると、塗料は日本製、作業は2日間、工事をお願いすることにした。

 

 工事日、大人数でやってきた。家具を移動、床面と壁面にシートでカバーをしていく。よく見ると、カバーを止めるテープまで日本製だ。これで壁紙が剥がれる心配がなくなった。天井に入った亀裂から修復を始めて、一回目の塗装が行われる。乾いたところで、次はドイツ製の機械が登場してきて塗装面に磨きをかける。作業は順調に進み、2日目の午後に家具が元の位置に戻され、塗装工事が完了した。日本と同じで、発注側の労働負担は全くなかった。西安のサービルレベルも向上してきた。


 



 

 初めての経験者募集

 新卒たちの「粘り精神」が低下したこともあって、試験的に経験者の募集をやってみることにした。中途採用はネット求人会社を利用するのが一般的で、業者から話を聞いてみることにした。


 10日間のお試し期間は無料、それを過ぎると有料になる。申し込みを済ませ、求職者たちの履歴書をチェックする。会社が希望する求職者が見つかると、直接本人に電話して勧誘するやり方だ。数社が同じ履歴書を見ているので早いもの勝ちだ。数人と接触をとり、その中の1名を採用した。


 ネット募集と並行して、ソフトウエアパーク内にある訓練センター・西安ソフトアウトソーシング学院に通っている経験者や過年度卒の生徒に対しても募集してみることにした。学院の協力で会社説明会への参加希望者は34名になり、筆記試験の準備をして7月20日に学院を訪ねた。


 会場に入ると、予定していた倍以上の生徒が集まっていた。来年に卒業を控えた生徒も参加しているようだ。先生に訊ねると、生徒たちの希望を断ることができなかったと言う。仕方ないが、筆記試験は35名分しか準備していない。この日は経験者と過年度卒の生徒だけにして、新卒は2日後に試験を行なうことにした。2回の試験の結果だが、採用に至る生徒は見つからなかった。

 

 



 …8月の西安…

 

 学院で講演

 7月の募集でお世話になった、西安ソフトアウトソーシング学院から講演を頼まれた。我社の会社説明会が学院内で評判になり、生徒たちが社会人教育を受けたいそうだ。お断りするわけにはいかないだろう。以前にも西安師範大学の日本語科で、「日本企業へ就職するために」というテーマで講演したことがある。何とかなるだろう。但し、西安ソフトウエアパーク内には、日系の他にアメリカや欧州系企業がある。生徒たちのことを考えれば、内容を国際化した方が良いだろう。


 8月28日、講演会場に入ると生徒たちが大きな拍手で迎えてくれた。9月3日は抗日戦争勝利70周年記念日、抗日気運が高まっている時期にしては参加者が多い。話を始める。生徒たちにとっては、複雑なマナーやルールを理解することは難しい。そこで、背景にある日本人や欧米人の考え方について、西安の実情と比較しながら話を進めた。中盤を過ぎた頃から調子が出て来て、生徒たちと一緒になって実演をまじえながら続けた。


 2日後に学院からメールが送られてきた。見ると、私の写真が20枚以上掲載されてあった。大股を広げた姿や肘をついた姿など、恥ずかしくなる写真が数枚ある。良く見ると写真の下には、悪い例としての説明文が書き添えられてある。気にすることはなさそうだ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …9月の西安…

 新入社員研修を始める 


 西安ソフトウエアパーク内で、我社の社員教育が話題になっていると聞く。我社の社員の身だしなみや立ち振る舞いの良さが注目されているそうだ。そんな折、親しくしている会社から、「うちでも社員教育をやってほしい。」と頼まれた。社員教育は自分でやるもので、他人に頼むものではないと思っている。丁重にお断りしたが、どうしてもと言う。そこで、教育担当者に我社の新入社員研修に参加してもらうことを提案してみた。その結果、今年の新入社員研修には2名の社会人が加わることになった。


 9月1日に研修を始める。大学を卒業したばかりの社員に社会人が混ざっての研修だ。教育レベルを上げたり下げたりと忙しい。しかし、思っていたよりもスムーズに進む。緊張感があるからだろうか?


 社会人のために土産話を2つ準備した。それは、日本人訪問客への対応と接待についてだ。これは、2005年に西安を訪問した際に私が感じたことについての話だ。日中の文化や習慣の違いから、最初から最後まで西安の悪口が並ぶ。しかし、良い土産話になるはずだ。


 今年の改善は、これまで10日間行っていた研修を6日間に短縮した。研修内容を「社会人の心得・入門編」だけにして、削除した内容は日本研修が始まる直前に行うことにした。いきなりハイレベルの話をしても、効果がないことが分かったからだ。


 研修中に社外参加者から聞いた話では、最近になって日系企業の中国人採用担当者たちが、「気配りができる学生が欲しい。」とか「行儀の良い学生が欲しい」とか言い始めたそうだ。これまでには無かったことだ。想像すると、これは監査に来た日本人が、西安の事情を知らずに言い残していった言葉ではなかろうか。日本人が希望するような学生が西安にいるとは思えない。


 いずれにせよ、我社の教育と社員が注目されていることは嬉しい。これからも厳しい教育を続けていくつもりだ。


 

 

 本社へ移籍した社員が帰国

 昨年10月に本社へ移籍した第一期入社の社員が、1年振りに休暇で西安へ帰ってくる。この機会に、日本研修を終えて西安へ戻っている社員たちと夕食会を開くことにした。全員日本語が達者なので、私にとっては楽しい会になりそうだ。


 その前に、新入社員たちに先輩としての話をしてもらった。堂々たる話振りだ。西安スタッフも満足顔をしている。その光景を見ていると、西安開設からの9年の歩みが思いだされる。何度彼を叱ったことか。本人も耐えてよく頑張った。




 

 

 


 募集活動を始める

 昨年度の新卒採用は、本社からの仕事の都合で秋の募集を中止して春に行った。春を待つまでの精神状態は最悪で、優秀な学生を他社に奪われてしまうと気にしてばかりだった。その反省から、今年は秋の早い時期から活動を始めることにした。


 9月中旬に大学ネットの募集を始める。西安スタッフが一人で書類審査、筆記試験、面接試験と頑張り、9月末までに男子学生1名の採用を決めた。


 西安スタッフからの連絡では、採用を決めた学生が、来年5月の卒論の時期まで大学の授業がなく、会社に通いたいと言っているそうだ。状況としては、今年の新入社員研修は始まったばかり。一人増えてもそれ程負担が増えるわけではない。そこで、「何事もやってみなければ。」の精神で、採用内定者の早期受け入れを試してみることにした。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …10月の西安…

 本部長が西安へ


 本社の役職者たちには、これまで幾度となく西安出張を促してきた。しかし、いつも訳の分からない理由で断られた。そこで、言い方を変えることにした。最初のターゲットは海外事業部本部長で、「西安子会社を訪問したことがないでは、周りの人から馬鹿にされるよ。」と忠告した。この作戦が成功して、すんなりと西安出張が決まった。


 決まってからの本部長の行動は素早かった。オーダーメイドスーツを発注。次に、スーツケース、リュックサック、洗面セット、シャツから下着まで購入。出張用品の全てが新品だ。身だしなみの準備が終わると、次は友人や知人たちに「初めての海外出張」のお知らせを始める。おしゃべりで祭り好きな性格なので、彼の行動は十分に理解できる。しかし、土産がたいへんだろうな。


 西安へ一緒に移動することになった。出発日の搭乗待合室から大騒ぎだ。パスポートが無くなったと、免税店の店員まで巻き込んで慌てている。この調子で西安に乗り込まれると大変だ。上海空港到着後、落ち着きを取り戻してもらいたいと、喫茶店でコーヒーとサンドイッチを馳走する。だが、期待したほどの変化は見られなかった。


 西安で一晩寝ると落ち着いたのか、元気に会社説明会、筆記試験、面接試験、社員面談、取引先訪問と、ハードな日程を消化していく。日本との違いに苦しんでいる様子もない。頑張っているご褒美に、本人が希望していた兵馬俑見学と腕輪の購入の日程に組み入れた。


 以下は、本部長が出張中に語った言葉だ。西安社員の行動は、本社が忘れてしまった日本の良い習慣が残されていますね。それに、西安スタッフを中心に、社員が一丸となって取り組む姿は素晴らしいですよ。そんな評価をしてくれたことは嬉しいが、食事が美味しくて太るのが心配だとも言っている。一流店ばかりに案内しているのだから当たり前のことで、食事の量ぐらい自分で調整しろよと言ってやった。


 帰国日に西安空港まで送った。別れ際の様子は、これから始まる異国での一人旅の不安からか、いつもの笑顔は見られなかった。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 募集活動が本格化

 国慶節休暇が終わると本格的な秋の募集シーズンを迎える。10月には、大学内企業説明会開催と合同企業説明会参加を其々2回予定している。


 大学内企業説明会は、会を重ねるごとに参加者が増える傾向がある。それは、参加した学生たちが、会社の様子を仲間たちに話すからだ。今年も初回の参加者は少なかった。しかし、今年は先生も参加してくださり、「こんな素晴らしい会社説明会は初めてだ。」と感激してくれた。それに、他の大学の先生たちにも伝えておくとも言ってくれた。その効果からか、次の説明会からは参加者数が急に増えた。


 今年の合同企業説明会には100社を超える企業が参加していた。業種も様々で、数百人の学生が運動場に並んで入場待ちをしていた。会場内は大混雑だ。だが、ソフト開発を希望する学生は期待したほどではなかった。


 大学内活動と並行して、ネットで応募してきた学生たちとも接触をとる。書類審査だけでも大忙しだ。この状態は11月中旬まで続く。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …11月の西安…

 
日本からのお客様を迎える

 社員が日本滞在中にお世話になったお客様が西安へ来られることになった。精一杯のおもてなしをしなければならない。まずは、安心してお泊まりいただけるホテルの予約と航空券の手配からだ。次は、好みに合うレストランを手配しておかなければ。また、来訪目的には事務所の安全管理チェックも含まれていると思われる。設備や準備品の再チェックも必要だ。それに、来訪の日程が募集活動と重なっているので、本社から海外事業部本部長にも来てもらわなければならない。


 全ての準備を整えて、11日の夜に西安空港でお客様をお出迎えした。お客様の様子がいつもと違っていた。お訊ねすると、眼鏡フレームが壊れて片方の蔓がないと言われる。既に閉店時刻を過ぎている。修理は明日のことにして、ホテルへご案内して遅い夕食をとっていただいた。


 翌日は来社日、社員たちは訓練通りにやってくれるだろうか心配だ。お茶、名刺交換、安全管理チェック、業務の進捗状況確認と問題なく進む。社員との昼食会も終わり、眼鏡店へ直行。だが、店員からは修理できないとの冷たい返事。そこで、方向転換して西安ソフトウエアパークが主催する合同企業説明会の会場へ移動する。興味深く見学されていた。ここで二班に分かれ、お客様には陝西省歴史博物館見学と城壁観光にお出かけいただいた。夕方合流して、北京ダックの食事と唐時代の優美な歌舞を観賞していただく。


 滞在日数が短く、3日目の夜には関西国際空港への深夜直行便で帰国される。そこで、最終日の午前中は西安のシンボル兵馬俑、午後は華清池見学を予定した。途中で、どうしても奥様への土産を買いたいとおっしゃられ、午後の予定を変更して土産店が並ぶ書院門古文化街へ移動した。馴染みの店にご案内、ギリギリの時間まで品選びをしていだだく。
また西安へお越しください。社員一同、お待ち申し上げております。



 

 

 

 

 

 

 

 

 …12月の西安…

 

 採用内定者懇談会

 12月23日に、この秋採用内定した学生に集まってもらい懇談会を開いた。例年この時期に開いているが、目的は本気で入社する気があるか確認するためと、卒業してもらわないと困るので学業に励んでもらうよう忠告するためだ。


 今年の内定者は5名、そのうち3名が女性だ。応募者の大半が女性という、これまでには無かった現象が起きた結果だ。面接時に、3年間の日本研修は可能ですかの質問に対して、喜んで行かせてもらいますとの返事であった。こちらも喜んで採用させてもらいます。





 

 

 

 

 

 

 

 

 2015年の終わりに 

 2015年は、新しい考え方「物事なるようにしかならない。」でスタートした。ゆったり気分で一年を過ごしたいと考えたからだ。だが、その考え方を認めてはもらえなかった。「どうにかしなければ」に戻ってしまい、これまでと全く変わらない一年になった。夢は叶わなかったが、そのお蔭で難しい課題に対する解決方法が数多く見つかった。新しい考え方は間違っていたようだ。年老いても、理想の世界を求めて精一杯頑張らなければ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …玉のお話…

 

 玉の話は前回で終わりにしようと思っていた。そんな時、読者の方から「玉は日本人には馴染みが薄く、是非続けてほしい。」という話をいただいた。その方からは、四つのテーマまで届けられていて、「玉の歴史」、「玉石はどんな石」、「玉器の見分け方」、「玉の喜び」だ。迷っていたが、挑戦してみることにした。


 第一回「玉の歴史」から始めます。玉文化は中国だけにしかない文化で、8000年もの歴史がある。玉は邪を払い、人の道を正し、死をも免れる霊力があるとされる石で、玉信仰として中国の人たちの心の中に今も生きている。お守りとして身に付けている人も多い。


 玉の歴史は、新石器時代、高古期、中古期、明清期の4期に分けられる。年代を見てみよう。新石器時代は高古期が始まるまでの4000年間で、中国各地で文明が起き、その中で玉文化が栄えたのは紅山文化、良渚文化、石家河文化、斎家文化などである。高古期は紀元前2070年夏の時代に始まり、商、西周、春秋、戦国、秦、漢、三国、南北朝の時代まで。中古期は西暦581年隋の時代から唐、五代、遼、宋、金、元の時代まで。明清期は西暦1368年明の時代から清が滅亡する1911年までになる。長い歴史の中で玉文化が隆盛だったのは、強い国力と経済力があった漢、唐、清の3つの時代になる。これは、良質な玉材が西域から入手できたからだ。


 では、時代順に博物館などで収蔵されている作品を中心に見ていきましょう。新石器時代には、災いから身を守るための装身具や副葬品、祭事を執り行うための礼器などが作られました。高古期になると王の権威を示すための装飾品や酒器が、中古期では仏教伝来により仏像や仏具、その他身を飾るための装飾品が、明清期になると実用目的の生活用具や文具、置物などの装飾品が作られた。この歴史を見ると、新石器時代には神秘性や神聖さを求めて玉が使われましたが、高古期になると玉は権威の象徴に変わり、やがては実用性や装飾性を求めたことになります。明清期以降の玉の使われ方は、玉本来の魅力である神聖さを忘れてしまったようで残念です。


 デザインを見ていきましょう。新石器時代の品はシンプルで可愛い感じがします。写実性に乏しいところが、可愛さを生み出しているのでしょう。高古期になると芸術性が備わり、男性的で力強いデザインになり、中古期では女性的で優雅なデザインに変わり、明代に入ると野暮ったくなってしまいました。清中期の乾隆帝時代になって、やっと華麗なデザインが戻り、ヒンズー文化のデザインを取り入れた新しい作品も生まれてきました。


 次は、流行した装飾紋様を見ていきましょう。新石器時代には龍や個性的な表情の人面紋が、高古期には雲、雷、繭などをイメージしたシンプルな紋様が、中古期になると華やかな花鳥紋、明清期ではより写実的で複雑な松竹梅などの紋様が流行しました。紋様の中で、私が好きなのは人面紋で、怖い顔をしているつもりでしょうが、何故か可愛く思えるのです。


 最後に、道具の進歩を見てみましょう。新石器時代の道具が近年になって発掘されましたが、それは石の道具でした。固い玉石をどのようにして彫ったのか?途方もない時間と労力が求められたことでしょう。彫師の体には神が宿っていたのかもしれません。高古期になると道具は飛躍的に進歩しました。それは、商時代の青銅器と戦国時代の鉄器の発明によるものです。より緻密な作業が可能になり、作品に芸術性が加わりました。現代になって道具は電動化されましたが、それでも一つの作品を仕上げるには半月から一ヶ月はかかるそうです。


 こんな話が残されています。清の乾隆帝が製作を命じた作品は、玉材が崑崙山脈の山奥から切り出され、4年の歳月をかけて北京まで運ばれ、6年を費やして製作されたという話です。気が遠くなるような話で、完成した作品は北京の故宮博物院に展示されています。世界最大級の白玉で、その価値は計り知れないとのことです。


 西安では毎月のように近郊で墳墓が発見されたニュースが報道されます。その多くは漢代の墳墓で、漢といえば今から2000年も前の時代です。同時期の日本は弥生時代中期、比較すると訳が分からなくなってしまうほどの違いがあります。中国文明の高さに驚くばかりです。
 次回は、「玉石はどんな石」についてお話させていただきます。