2015年を迎えて

 2015年を迎えて気になるのは、3月から出荷を始める「福祉の玉手箱Ver.7」のことだ。介護保険法改正の公布時期が遅れるのでは?システムの大幅修正が発生するのでは?納品が集中するのでは?など心配事ばかりだ。普通の神経をしていてはもたない。

 

そこで、考え方を変えることにした。これまでには、2013年に「無理をしないで、やれることだけをやる。」に変えたことがある。それを発展させて、「物事なるようにしかならない。」に変えようと思う。老体を長持ちさせるには、この方法しかない


 


 

 

 


 …1月の西安…


 新年を西安で

 本社の年末年始休暇は9日間ある。西安の休暇は日曜日の振替を含めて3日間だけ。日本でのんびり過ごしたいところだが、仕事を優先すべきだろう。3年連続して西安で新年を迎えることにした。

 今回の出張は、来日する社員の赴任及び出張研修や滞在ビザの申請といった仕事がある。その他、西安オフィスの賃貸契約更新とか苦手な大掃除も待っている。インフルエンザの予防接種を早めに済ませて、12月25日に日本を発った。

 翌日からフル回転、年内の仕事が予定よりも早く終わった。こうなると、脳裏に浮かんでくるのは、上海の蟹味噌入り小籠包のことだ。誰もが、一度味わえばその魅力に負けてしまうだろう。大掃除を簡単に済ませて、大晦日の午後に上海へ移動した。

 上海到着後、世界のレストランベスト3に入る有名店へ直行。満足したところで、隣接するホテルにチェックイン。荷物を整理して、夜の街を少し歩いてみることにした。ホテルの従業員から、「今夜は外灘で華やかな行事が催されますよ。」と案内があった。一瞬その気になったが、外へ出てみると厳しい冷え込みと強風。これでは、NHK紅白歌合戦を見ながら温かい部屋で年越しを迎えた方が良さそうだ。

 元旦のテレビニュースで、大晦日に外灘で起きた事故のことが報道された。大勢の若者が亡くなっている。もし出かけていたら事故に巻き込まれていたかもしれない。人の生死はこんな小さな選択の違いで決まってしまうのか。

 

 

 


赴任と出張研修

 開発社員全員の日本行きが決まっている。長期滞在する社員もいれば、短期出張だけの社員がいる。移動時期も2月と3月、滞在場所も寮とホテルの2ヶ所に分かれる。そこで、社員を4グループに分けて研修を行うことにした。

 正月休暇が終わって直ぐに研修を始めた。彼らの表情に真剣さが見えない。新人などは、日本へ買物旅行にでも行くような気分だ。これではまずい、仕事に対する厳しさや真剣さを取り戻させなければ。大声で、社会人としての心構えについて再教育した。しかし、彼らの表情に変化は見られなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…2月の西安…

 社員6名が本社へ 


 「福祉の玉手箱Ver.7」を携えて、西安から6名の社員が本社へやって来る。車2台で岡山空港へ出迎えに行った。空港に着くと、掲示板には到着が1時間遅れるとの知らせ。やれやれ、この時間帯ではコーヒーも飲めない。

 待つこと1時間半、彼らが現れた。どの顔も嬉しそうだ。全員無事に入国審査と税関検査をパスした。これは、西安の身だしなみ指導を守ったからであろう。全員がタバコが入った紙袋を提げている。本社の社員たちから頼まれていた品だ。やれやれ。

 荷物を積み込みレストランへ直行して歓迎夕食会を始める。初めて日本へ来た社員は興奮気味で注文が決まらない。ゆっくり食事するはずだったが、到着便の遅れもあって短い歓迎会になってしまった。

 翌日の午後は、全員でビジネス用品の買い出しだ。初めての社員はずらり並んだスーツに戸惑い気味。人数も多く、店長に服選びを手伝ってもらうことにした。さすがは店長、手際良く決めていく。それでも、買い物はネクタイ、シャツ、靴下、靴、カバンまであり、終わるまでには4時間を要していた。疲れはしたが、社員の満足した顔を見ると癒えてくる。


 

 

 

 

 

 春節を西安で

 4年前の春節に西安で罹ったインフルエンザの恐怖で、この時期の西安出張を中止してきた。そのため、春節行事に参加できていない。これ以上欠席が続くと、誰も声をかけてくれなくなる。そこで、恐怖を忘れて西安へ出張することにした。

 春節前の2月14日に日本を発った。西安空港に着くと、いつもとは様子が違っていた。春節飾りが見えない。訳を訊ねると、「花火や春節飾りなどの無駄使いは止めましょう。」と指導している中国トップの習書記長が西安へやって来るらしい。習氏は陝西省出身で、久しぶりの里帰りになるらしい。運悪く到着時刻が重なり、市街地へ向かう高速道路は通行止めになった。

 18日の大晦日は早朝から大掃除。終わったのは陽が落ちてからだった。例年、この時間帯になると爆竹や花火の音が聞こえてくる。だが、今年は音が無い。
 街の様子はというと、驚くほど人と車が少ない。西安オフィスがある団地でも、明りが見える部屋は僅かだけだ。元旦のテレビニュースで、45万人の中国人が日本へ行ったという。春節の過ごし方も変わってきたようだ。

 初詣には、多くの日本人が訪れるという香積寺を選んだ。法然ゆかりの浄土宗の寺で、境内には日本から贈られた碑がある。8年前にここを訪れた時は、人影もなく土塀が崩れた寂しい寺だった。その後寺は整備され、今では多くの参拝者が訪れるようになっていた。



 

 

 

 

 

 

 


 古民家博物館を再訪問

 古民家博物館の第一期工事が完了したというニュースが流れた。仮オープンした時期に一度訪ねたことがある。どの様に変わったか見たくなって、春節休暇中に訪ねてみた。

 陝西省内に残されていた明や清時代の古民家を移築して出来た大規模な博物館だ。施設の手前には商店街が出現、駐車場も大きくなって観光バス数台が停まっていた。大きな変化は入場料にもあった。3倍の120元(約2400円)になっていた。

 舞台では古楽器が演奏され、館内の寺へお参りする人までいた。各部屋には装飾品や家具が揃えられ、古い時代の生活が見えてくる。前回の訪問から4年半が経過、外壁のレンガは自然な色合いになり、庭石や石柱も周辺の色に馴染んできた。

 工事は第二期、第三期と続けられるが、完成時の入場料は幾らになるのだろう?そんなことを考えながら館内を見て回った。この博物館は全て個人の資産で建てられた施設で、第一期だけでも45億元(900億円)の投資があったと聞く。持主はとんでもない資産家のようだ。

 

 

 

 

 

 

 …3月の西安…

 新入社員4名も本社へ


 3月6日に新入社員4名も本社へやって来る。西安空港から「上海行きの便が遅れている。」と連絡があっただけで、その後何の連絡もない。上海からの乗り継ぎ便に間に合うか心配になってきた。過去に3度、乗り遅れて上海で一夜を過ごしたことがある。我慢できなくなって東方航空岡山営業所へ問い合わせてみた。すると、少し前に上海空港へ到着したとのことだった。

 岡山空港へ出迎えに行く。韓国便の遅れでロビーは大混雑。人影が疎らになったところで彼らが現われた。いつもの笑顔が見られず動きまで変だ。良く見ると、全員がスーツケース2個を携えている。2ヶ月の滞在にしては多過ぎる。訊ねてみると、家族や知人から頼まれた土産を入れるためだという。今から土産のことを気にしているのだろうか。

 翌日は歓迎昼食会と恒例になったビジネス用品の買い出しだ。スーツ選びの最中に先輩2名もやって来た。彼らの目的は、団体特別割引に便乗するためだ。本気で店長と値引き交渉しなければならない。


 

 

 

 

 

 

 春の募集

 西安事務所は私と西安スタッフの二人だけになった。募集活動がほんとうにやれるのだろうか?だが、採用を諦めるわけにはいかない。会社開設時に二人でやったことを思い出しながらやってみることにした。

 受付窓口を広げた現在の募集方法は改めなければならない。そこで、ネットでの応募受付を中止して、西安ソフトウエアパークが主催する合同説明会会場の受付だけに絞ることにした。今回の募集は一発勝負だ。

 説明会会場は、新しくオープンした第四期ソフトウエアパークに移った。かなり田舎にあって、しかも昨夜からは厳しい冷え込み。十分な防寒対策が必要だ。会場に到着、我社の受付は入口近くに準備してくれていた。目立つ場所で喜ぶべきだが、入口から冷たい風が吹き込んでくる。前後に貼ったホッカイロだけが頼りだ。

 学生を乗せたチャーターバスの第一便が到着、数人が真っ直ぐ我社の方へ向って来る。聞くと、長春や重慶から我社へ応募するために来たと言う。学生たちのゴマすりも上手になってきたものだ。後半には、「全部見て回ったが、ここが一番真剣に学生に対応してくれていたから。」と話した学生もいた。直ぐに喜ぶわけにはいかない。嬉しい話をしてくる学生ほど、筆記試験の点数が低いという実績がある。

 翌日筆記試験を行なう。どの企業もこの日に試験を行っているらしく、参加率は40%と低い。合格点数を下げて面接者を選び、翌日から休日返上で面接試験を行なう。ほとんどの面接者は数社を掛け持ちして企業選びをしている最中で、即採用というわけにはいかない。会社の状況を説明して、彼ら自身に考えてもらうことにした。

 待つこと2日、二次面接の希望者が現われた。開発2名、日本語1名。直ぐに面接を行う。3名とも、一次面接後に会社のホームページをじっくり読み、家族とも相談して、入社したいと思っている学生だ。全員合格だ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 …4月の西安…

 四川料理に挑戦


 西安オフィス近くに有名四川料理店がオープンした。周りの人たちの評判はすこぶる良い。辛い料理が苦手で普段口にすることはないが、私だけ楽しめないのは悔しい。そこで、四川料理に挑戦してみることにした。

 10年以上も前になるが、一度だけ四川料理に挑戦したことがある。四川省成都の麻婆豆腐が誕生したというレストランでのことだ。丼鉢いっぱいに盛られた豆腐を特別注文して、その中にスプーン一杯の麻婆豆腐を入れてよくかき混ぜてから食べた。独特の香りと味わいに満足したことを覚えている。

 挑戦は四川火鍋から始めた。異様な赤色をしたスープが入った鍋が現れた。表面には多量の山椒とトウガラシが浮いている。その中に羊肉を一切れポトリ、浮いてきたところで口に運ぶ。激痛が走る。今日はここまでだ。

 このままでは終われない。これまで西安へ来た本社の社員たちは、「辛い。」少し間を置いてから「美味しい。」という言葉を残して帰国している。負けてなるものか。二度目の挑戦は四川料理3品を選んだ。結果は同じで、激しい痛みでギブアップ。「山椒で痺れさすと辛さを感じなくなる。」という助言をいただいてはいたが、役立てる前に挑戦は終わってしまった。



 

 

 

 

 

 

 

 西安料理が美味い

 四川料理への挑戦は失敗に終った。これまで通り西安料理を楽しむことにした。酸っぱくて少し辛いのが西安の特徴だ。西安へ通い始めた頃は酢が入った温かい麺に咽ていたが、今では何の抵抗もなく喉を通る。

 全ての料理が酢辛味というわけではない。生姜味の効いた国際的な味付けの料理も数多くある。それに、どのレストランでも、好みの味付けを特別注文できるところが気に入っている。

 西安料理と言えば水餃子が一番に浮かんでくる。好みの薬味を選べば、自分専用の美味しいタレができる。水餃子は祝い事がある前夜の定番メニューになっている。その他、日本人の口に合う料理には、生姜味を効かせたスープで食べるしゃぶしゃぶ鍋、生姜と豚肉を煮込んだものを固いパンに挟んで食べる料理、豚肉と味噌を蓮の葉で包んで蒸したものをフワフワのパンに挟んで食べる料理などがある。

 中国南部は米が主食だが、秦嶺山脈を越えると主食は小麦に変わる。西安では小麦を使った料理が多く、麺とパンが美味しい。食材として美味しいのは野菜で、柔らかくて甘味がある。肉派にとっては鳥がお薦めだ。自然の中で伸び伸びと育った鳥で、蒸した鳥などは油分も少なく美味い。国際都市だった長安の食文化が今も残っている。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …5月の西安…本社出張者が帰国

 5月1日に、本社へ出張していた社員8名が帰国する。帰国前に、出張のご褒美にと瀬戸大橋観光と昼食会を計画した。天気良好、絶好のドライブ日和。瀬戸大橋の中間点与島に降りて、海の景色を楽しんでもらう。西安人にとっては海の景色が一番だ。

次は瀬戸大橋が一望できるレストランへ移動して昼食会。初めてのフランス料理に先輩たちは大満足。だが、新人たちは緊張からか味どころではない緊張の様子だった。

 帰国当日、ワゴン車3台で岡山空港へ送る。全員がスーツケース2個と手荷物4、5個を抱えている。車は満載状態、日本商品は大人気だ。東方航空チェックインカウンターの前に8名が並ぶ。この人数になると存在感がある。ステーションマネジャーに、社員たちの荷物重量オーバーに眼をつぶってもらうよう頼んでおいた。

 朝食をとってもらい、出国審査場案へ案内する。先輩たちの顔は明るいが、新人たちは何故か暗い表情で消えていった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰国後の研修 

 社員が帰国すると、次は私の西安出張だ。社員が日本に滞在している間で気が付いたことについて指導するためだ。対象は新入社員で、日本語会話に積極性が見えない、挨拶の姿勢が中途半端で声も小さい、休憩時間になると中国の習慣に戻って行儀が悪くなるといったことを予定している。

 彼らが帰国すると、日本へ行ったという満足感で緊張感を無くしてしまい、目標まで見失ってしまう。この指導もやらなければならない。また、今回の出張では、年1回の帰国休暇で帰国している社員2名の発表会や採用内定者懇談会といった行事も予定している。

 二つの行事を先に済ませ、問題が多かった新入社員から指導を始める。「自分の生き方や考え法を変えるつもりはない。それに、これまでの生活習慣やリズムを壊したくない。」と言ってきた。残業するのも嫌だそうだ。このまま社員でいてもらう必要などない。

 次の二人は、「日本の仕事の進め方は圧迫感があって馴染めない、中国人のマナーは言われるほど悪いとは思えない。」など、日本行きの前にはなかった主張が次々と飛び出してくる。こちらが気に入らないことばかりを懸命になって並べているようだ。これは、退職を決めている社員に共通する特徴だ。言い分を分析してみると、真剣に仕事の取り組むことや他人に迷惑をかけないことなど必要ないということになる。これでは、一緒に仕事をしたくない。

 残りの二人はどうどうか?入社後直ぐに始めた日本語、日本式マナー、日本文化の教育に疲れている様子は見える。彼らとは時間を掛けて話し合った。しかし、団体行動が好きな国民だけに同期入社の人たちの退職に影響されるだろう。

 本社業務対応のために早期に出張させたが、反省すべき点はある。日本文化が理解できていない時期に日本へ送り出すべきではない。未熟なため、日本文化を正しく理解することができないからだ。また、日本に馴染んでいない時期に、日本式マナーを厳しく指導すべきではない。日本に対する反抗心を持たせるだけだ。今回のことを教訓に、教育と募集の改善を行うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …6月の西安…

 入社教育改善


 今の学生たちの考え方や生き方についてもっと知りたくて、大学教授や日系ソフト会社の社長さんたちを訪ねた。「最近の学生は何を考えているのか分からない。」が彼らから出てきた言葉だ。訊ねていくと、飽きっぽくて何をやっても続かない、厳しさに耐えられない、楽しさと高い給料だけを求めてくるといった内容だった。

 我社のこれまでの教育は、学生にとっては厳し過ぎたかもしれない。入社時の研修は、最低限守ってもらいたいことだけにして、日本行きが決まってから日本文化と厳しいマナー教育を行った方が良さそうだ。マナー教育の際には、どうしても中国と比較することになる。結果「中国は世界一の国」という彼らのプライドを傷つけてしまうからだ。

 また、大学を卒業すると「おれは一人前、どんな仕事でもできる。」と彼等は思っている。「直ぐにでも仕事がしたい。」という気持ちが強い。他社で働く同級生たちから開発技術の自慢話を聞かされると、自分は日本語研修ばかりでうんざりと言う気持ちになってしまう。入社時の研修を短縮して、実務をやりながら技術と日本語の研修を進めていく方法に改めることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玉収集のその後-15


 美術商との茶館取引は順調に進んでいた。しかし、3年目を迎えた頃の展示会で塗料が塗られた品が並べられたことがある。そのことがあってからは、美術商の連絡には「そのうち。」と返事するだけにした。

 これで玉収集を止めた訳ではない。新しい玉友達を探していたのだ。西地区にある骨董街の中に理想の店を見つけた。漢代の優質玉を専門に扱う店で、私の購入希望額に近い売価設定にしてあった。店主の人柄も良く、彼から購入した品はお気に入りが多く、そのほとんどを紹介させてもらった。保管箱に残っていたのが、今回の2品ということになる。

 玄関に飾れる大型作品を探していた時のことだ。玉材が大きくなると値段も高くなる。思い付いたのが、大きな木枠に組み込まれた玉作品だ。主人にその話をすると、非売品だが自分のコレクションの中にあると言う。見せてもらうだけでいいからとお願いしてみた。

 数日して連絡が入り店に寄ってみた。大きな箱を想像していたが、出されたのは小さな箱だった。開けると、組立て式になっていてパーツがコンパクトに納められてあった。木枠を組み立ててみると、溝へはめ込む際に「カチッ」という心地良い音がする。これは確かな腕の職人さんの仕事だ。材料は紫檀で、透かし彫りされたコウモリが可愛い。中国のコウモリは幸せを運んでくる鳥で、血を吸う怖い鳥ではない。

 店主が、「もう少し玉が白ければXX万元になるのだが。」とぼやいた。私には汚れているだけとしか見えない。チャンス到来か。「幾らなら売る?」と訊ねてみた。すると、あっさり私の査定額を下まわる回答があった。ほんとうに非売品だったのか?

 高さ61cm、横幅38cm、希望通りの大型作品だ。「屏」と呼ばれる用具で、机上に置いてプライベイト空間を造るために使われたと思われる。この作品は「雲龍紋屏」と命名した。表には5匹の龍が彫られている。九匹いると皇帝様用なので、持主は9分の5の地位にあった人物であろう。裏面には金文字で乾隆年製と書かれている。乾隆帝は清朝6代目の皇帝で、芸術を愛した皇帝として知られている。この時代の作品には、名品と呼ばれるものが多い。

 次は琵琶の形をした置物だ。手に入れたくて、店主に会うたびに頼んでいた。過去に一度琵琶入荷の連絡をもらったことがある。しかし、その時日本から知人が遊びに来ていて、それを横取りされてしまった。深い悲しみから待つこと1年、やっと次の連絡をもらった。

 横取りされた品よりも良質な玉材が使われている。純白に近く申し分ない。これで知人と仲直りができそうだ。大好きな飛天が何人も彫られてあり、デザインから唐代の作品と思われる。命名は「伎楽紋琵琶」とした。小さなパーツが多く、地震の被害から守るため保管箱に仕舞ったままにしてあった。今回写真撮影のために箱から出したが、撮影終了後は直ぐに戻した。

 琵琶購入後、西安にも骨董バブルが押し寄せて価格が高騰して、新期購入はストップしてしまった。玉の話も今回で終わりになる。