…7月の西安…

 西安・日本語案内の製作

 本社のホームページが十数年振りリにリニューアルされる。これに合わせて崗山軟件開発の日本語案内を立ち上げようと、中断していた作業を再開することにした。中断の理由は、中国語記事を翻訳すると日本人には意味不明の文章になった。修正を試みたが、原文がなくなってしまった。これでは、ゼロから考えるしかないと判断したからだ。

 作業を始める。崗山軟件開発(西安)有限公司を開設するに至った経緯、西安での教育・訓練、本社での実習の様子、海外オフショア事業体制に関する記事などを半日ほどで書き上げ、掲載写真も準備した。その気になればやれるものだ。

 出来上がると別の考えが浮かんできた。西安に掲載するのではなく、本社のホームページに掲載してはどうか?直ぐに製作会社に連絡して、隅っこでいいからと記事の割り込みをお願いした。

 7月上旬に本社ホームページは出来上がり、西安案内が掲載された。だが、予期せぬ出来事が起きていた。それは、掲載されてあった「西安開設記Vol.1〜Vol.20」と「中国の旅」が消えた。理由は、この二つが大きなエリアを占有していたからだ。ここで引き下がるわけにはいかない。交換条件に、読者の方の「西安開設記の写真が小さい。」の声にお応えしようと写真のサイズアップを要求した。

 勢いで要求したが、気持が落ち着いてくるとプレッシャーを感じるようになった。写真のサイズアップは、性根を入れて撮影しなければいけない。だが、このところ旅にも出られず、撮影意欲は落ちるばかりだ。困った。

 まず、撮影意欲の回復からだ。それには新しい機材の購入しかないだろう。だが、苦労して貯めてきた玉資金から支出することになるので、それなりの理由がいる。思いついたのが、使用中機材Nikon-D3は大きくて重いから年寄りには不向き。小型で軽量の機材に変えるべきである。こんなことで決着をつけた。購入機材はNikon-Dfと35mm単玉1本。これは半年前に決めてあった。


 

 


 



 福祉の玉手箱Ver.7開発を西安で

 西安が担当する本社商品「福祉の玉手箱」Ver.7の開発は、今年4月に社員1名を本社へ出張させて準備を始めた。その社員が本社での作業を終えて、7月上旬に西安へ戻る。帰国日に岡山空港まで彼を見送りに行った。西安へ仕事を持ち帰る社員は頼もしく見えてくる。

 彼が帰国して、西安開発が本格的にスタートした。年内に開発を終え、年が明けると担当した社員全員が本社へ出張する。これは、1月に公示される介護保険法改正に伴う修正作業を行うためだ。続いて3月には、今年9月に入社してくる新入社員たちも、リプレス作業補助のために本社へ出張する。西安総出の仕事だ。

 気になっていることがある。それは、先発する社員たちが本社出張中に春節を迎える。春節は中国人にとっては特別な日、代わりになるものが必要だ。思い付いたのが、春節を陰暦ではなく太陽暦で迎えてもらうことだ。彼らにとっては意味のないことかもしれないが、私には納得の決着方法になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


朝の散歩

 休日の朝、早い時間に目が覚めて散歩に出かけた。西安オフィスがある曲江区では環境整備が進み、区民憩いの場が数多く誕生した。中でも、曲江池(人工池)周辺は、五星級散歩コースと呼ばれようになってきた。

 表通りに出ると散水車が車道を洗い、オレンジ色の服を着た人たちが歩道を掃除している。西安朝の風景だ。少し歩くと大唐芙蓉園、入り口付近にレンタサイクルが設置されてあった。案内板には、300元(日本円:6000円)のプリペイドカードを購入すると利用できると書かれている。1時間以内は無料、これを超えると1時間当たり1元の利用料金がカードから引き落とされる仕組みだ。カードの購入金額からすると、区民を対象にしたもので観光客向けではないようだ。

 普段は多くの人で賑わうこのエリアだが、早朝のことで人も少ない。それに、昼間は40℃近い気温になるが、朝は快適温度だ。暫く歩いていると、唐代の代表的な鳥の飾り物が見えてきた。奥に入ってみると陶芸博物館の看板があり、併設された施設の案内板には唐三彩の製作工程が見学できると書かれてあった。一度は訪ねてみたい施設だ。

 1時間歩いて曲江池に到着。木々も大きく育ち、緑豊かなエリアに変わっていた。木陰で休む人、器具で運動する人、のんびりと散歩する人、それぞれに楽しんでいる。私もベンチに腰掛けて朝の雰囲気を楽しんだ。

 

 

 

 

 

…8月の西安…

 漢方薬 


 2012年の初冬から、漢方薬「田七人参」(中国名:三七人参)を西安で買い求めて、肩こり対策に飲み始めた。効果抜群で、飲み始めたその日から悩みが消えた。それ以来、周りの人たちにその話をしてきた。日本のファンが増え、西安出張の際に頼まれることが増えた。 最近ではファンの方が研究熱心になり、「西洋人参」を加えるとか、漢方薬の王様「冬虫夏草」を注文してくる。弟子が完全に師匠を追い越してしまったのだ。

 冬虫夏草は免疫性を高める効果が知られている。中国でも効果が再認識されて愛飲者が増えた。そのため、冬虫夏草はいっそう高価な薬になり、写真にあるような上質物になると一括りが1万5千元(30万円)になった。飲んでみたいとは思うが、弟子たちが飲む冬虫夏草の効果を確かめてからでも遅くはないだろう。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水の上で食事を

 知人から、水の上で食事をしないかと誘われた。状況が理解できなくて彼に訊ねると、場所は曲江池を見下ろす高台にあって、自前で池を造ったレストランだそうだ。約束の日に、様子が見たくて早めに出かけた。日没前に到着、予約席を確認すると席は間違いなく水上に設けられてあった。

 日が沈み、少し遅れて知人がやってきた。周辺には照明が灯され、その灯りが池に写り中国的な雰囲気が感じられる。結婚式や見合いなどに利用される施設で、現在西安で一番人気らしい。金曜日の夜のこと、直ぐに満席になった。

 西安は乾燥地域で蚊は少ないはずだ。知人に確認すると、「血液O型の人間だけは西安でも狙われるよ。」と言われた。私はO型、日本でも人の3倍は蚊の被害に合う。直ぐに、用意してあった日本製虫よけスプレーと団扇をカバンから取り出した。

 料理は西安風、イスラムの香りがする珍しい野菜料理があった。昼間の暑さが嘘のようで、夜風に吹かれながら11時近くまで知人と話をしていた。



 

 

 

 

 

 

 


 中国滞在ビザの申請

 昨年8月に中国政府から発表された滞在ビザ発給に関する改正のことが気になり、前回の西安出張前に代理店に確認した。担当者の返事は、以前と変わりがないということだった。西安滞在を延長し、帰国後に申請することにした。

 帰国後、パスポートと写真を代理店へ届けて申請が終わったと思っていた。ところが翌日になって連絡が入り、2種類の追加書類が必要と言われた。見通しがあまかったようだ。昨年の発表では申請から発給まで3週間かかるとも言っていた。急がなければならない。

 追加書類とは、中国滞在が現地の要請によるものであることを証明するもの。もう一つは、Mビザ(以前はFビザ)の必要性を証明するものだ。Mビザは1年間に複数回の滞在が可能なビザで、1回の滞在が30日以内のもの。私にとっては必需品とも言えるビザだ。決められた書式はない。自由作成は得意とするところで、西安とのメールのやりとりでその日の内に代理店へ届けた。明日から代理店はお盆休みに入る。ぎりぎりのタイミングでの申請になった。

 

 

 

 …9月の西安…

 今年の新入社員研修は


 採用内定者には、これまで入社前の3月に「社会人としての心得」を教える実習を行なってきた。だが、昨年度は採用が3月までずれ込んだことで実習が行えていない。今年の新入社員研修は、実習内容を加えたものになる。

 また、今年入社してくる社員は、来春の日本出張が予定されている。日本語学習が優先されるが、日本での仕事は顧客先へ訪問してのリプレス作業だ。訪問マナーの訓練も大切だ。教える方も教わる方も、今年はハードな研修になる。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新入社員研修が始まる

 緊張感のなか、2014年の新入社員研修が始まる。今年の改善は、これまで使用してきた研修マニュアルを伏せて、私自身が経験してきたことを中心に話を進めることにした。幼児期に両親や祖父母から受けた仕付けや教育、青春時代に教えられた「人としての考え方」、社会人になって感じた心の持ち方などの話だ。まず、話を聞かせ、その中にある問題点について彼ら自身に考えさせる。そして、正しい考え方を教えていくやり方である。

 彼らが学校で受けた教育は学問ばかりで、人としての考え方や生き方について何も教えられていない。親たちの関心も学校の成績だけで子供を喜ばせることばかり考えている。叱ることや一人で生きていくための教育をしない。これでは、我が侭で自己中な考え方の人間しか育たないと思う。

 研修内容は人に迷惑をかけないことから始めて、マナーやルールを知らないことは恥、相手の立場に立って物事を考える、自分で自分を磨くことの大切さを知るといったことを順に教えていく。彼等にとっては生まれて初めて聞く話ばかりで、感想文を読むと「斬新的な考え方」と寂しい言葉が書かれている。



 

 

 

 

 

 

 国際駐車場がオープン

 西安では車が増えて、駐車場不足が大問題になってきた。路上の駐車禁止区域が広がり、交通警察の取り締まりも厳しくなった。特に中心街には駐車場が少なく、どこの入口でも順番待ちしている。その他、車に関する話としては、市街地周辺にあるマンションの駐車場分譲価格が20万元(日本円:400万円)を超えたと聞く。

 中心街に国際駐車場が新規オープンした。どこが国際なのか調査してみることにした。入口ゲートが無人化され、監視カメラが通過時に車両ナンバーを読み取り自動登録する。出る際は車両ナンバーを言って料金精算すれば、無人の出口から出られる仕掛けになっている。どうも、無人化が国際の意味のようだ。

 この駐車場はデパートの8、9階部分にあって、クルクルと回転を繰り返しながら登っていく。回転半径が短く、5階を過ぎた頃から気分が悪くなって「目が回るのが国際なのか!」と叫んでしまった。快適性も考えてもらいたい。



 

 

 …10月の西安…

 今年の募集活動は

 前期に初めて春の募集を行ったが、その成果は満足できるものだった。そこで、これからの募集は、秋ではなく春に行うことを決めた。だが、世の中は思い通りにはいかないもので、来春には開発社員全員が本社へ出張して、募集活動がやれるような状況ではない。いきなり、春の募集は中止に追い込まれてしまった。

 嘆いても仕方がない。西安は臨機応変な対応が求められている。募集を秋に変更した。


 

 

 

 

 

 

 

 

 募集活動がスタート

 西安から、「大学内合同企業説明会」が10月15日に開催されるとの緊急連絡が入って来た。13日には西安へ移動しておかなければならない。だが、天気予報では、12日に猛烈台風19号が日本へ上陸してくる。通過してからでは間に合わない。直ぐに11日のチケットを手配して日本を発った。

 企業説明会に参加する。参加企業は20社、いずれも知っている企業ばかりだ。負けてなるものかと、応対人数を増やして学生を迎えた。作戦は成功し、我社の前には長い列ができた。だが、学生たちと接触してみると、彼らから就職意欲が感じられない。まだ様子見といったところだ。

 落ち込んではおられない。次の準備にかかる。この日受付した学生の中から30名、ネットで応募してきた学生から40名を選び、会社説明会と筆記試験の案内を出す。結果、60名の学生から申し込みがあった。

 会社説明会当日の天気は爽やかな秋晴れ、これは期待できそうだ。だが、受付終了時刻になっても25名の参加しかない。午後の筆記試験も、基準点に達した学生は3名だけ。その3名も、週明けに行った面接試験で全員不合格にした。

 就職意欲が高まる11月まで待つしかないが、ただ待つだけでは知恵がない。そこで、ネット申し込みの学生へのアプローチについて検討してみた。学生に会社まで来てもらい、社員との交流会を開くことを思い付いた。当社の魅力を感じてもらえるはずだ。直ぐに、この情報をホームページの募集覧に掲載した。 。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…11月の西安…

合同企業説明会へ参加 


 暫くは交流会で募集活動を進めていく予定であった。だが、帰国して間もなく、西安ソフトウエアパークが主催する合同企業説明会開催日の連絡が入ってきた。例年通り11月下旬のつもりにしていたが、今年は13日に決まったという。西安では何事も予測するのが難しい。また、慌ただしい出発になった。

 秋最大の合同企業説明会に参加する。参加企業数は75社で過去最多、しかも世界的に知名度が高い企業も揃って参加してくる。厳しい戦いになる。そこで、どこよりも早く受付を始めることにしたが、初めて聞く大学の学生ばかりが来る。開会時刻が来ても、会場にはいつもの賑わいがない。各社とも落胆の様子だ。終了時刻過ぎまで頑張ったが、受付できたのは65名だけ。この人数では書類選考の必要はない。全員に会社説明会と筆記試験の案内をした。

 会社説明会参加者は30名、前回同様に参加率が低い。筆記試験の点数は前回よりも低く、基準点に達していたのは一名だけ。その一名も面接試験で不合格にしたため、秋の募集は成果ゼロに終わった。

 原因として考えられるのは、今年中国政府が大学院の募集定員を大幅に増やした。そのため、これまで以上の学生が大学院を目指すようになった。秋に活動していたのは就職が難しい学生だけで、優秀な学生は12月に行われる大学院試験に的を絞っていると思われる。そうだとすると、春の募集はこれまで以上の学生が応募してくることが考えられる。春の募集を検討しなければならないが、社員がいない状況でどうすれば有効な活動ができるのか?難題を抱え込んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高新区の賃貸住宅

 休日の気分転換にと、高新区の国際ビジネス街にある賃貸住宅を見学してみることにした。客を装っての不動産屋訪問だ。この地区には、サムソン電子の社員が韓国から来て大勢暮らしている。その数は千人以上と聞く。出張者は半年ごとの交替制になっていて、交替時期に不動産屋が忙しくなる。

 今がその時期で、空き物件はほとんど残ってないらしい。頼み込むと、工事が終わっていない建物の中でも良ければと、マンションの一室を紹介された。面積は67u、管理職クラス向けの物件のようだ。現地に到着、エレベータ内には保護材のベニヤ板が貼られたままで、時折工事音も聞こえてくる。工事中の物件紹介など、とても日本人には理解できないことだろう。

 ビニールが掛ったままのドアが開けられた。室内はまるで別世界、直ぐにでも生活できそうだ。南向きの明るい部屋の窓には洒落たカーテンが掛けられ、居間にはソファとテーブル、テレビとテレビ台、それに食卓が、寝室にはベッドとクローゼットが置かれてあった。デンマーク調家具で、木目が美しく落ち着いた色合いだ。このような部屋が西安にあったのか。

 持主は趣味の良い方で、海外生活の経験をお持ちの方ではなかろうか。その他、空調機、湯沸かし器、冷蔵庫、洗濯機といった電気製品も揃えられていた。西安では、この品揃えが家具付き物件の標準になっているらしい。

 契約条件について訊ねてみた。家賃は建物が完成していないということで月額2000元、その他、契約期間満了までの家賃と共益費が一括前払いなっている。案内してくれた担当者は、「今はこの家賃だが、建物が出来上がると3000元以上にはなるだろう。」と言っていた。この設備にTOTOウォシュレットとパナソニックの大型照明が加われば、私にとっては完璧な部屋になる。持主と交渉してみたくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …12月の西安…

 2014年の終わりに


 もうすぐ2014年も終わろうとしている。今年はどんな年だったのか、この1年を振り返ってみることにした。年頭に考えていたことは、本社商品「福祉の玉手箱」のバージョンアップと個人的には肥満問題の解決だ。仕事は順調だったが、肥満については全く成果がない。これは、仕事のことばかり考えていたからであろう。

 11月に、数年ぶりにスーツを新調した。ウエストサイズを測ると1cm増えていた。今年は気持ちだけでも肥満を気にしながら過ごしてきただけに、大きなショックになった。何か手を打たなければ。直ぐに浮かんできたのは、毎年スーツを新調することである。ウエストサイズが増える恐怖と高額出費という二つの恐怖が、肥満を防いでくれるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玉収集のその後-14 


 保管箱シリーズの第五弾になる。美術商との取引も軌道に乗って、展示品が増えて毎週のように地下室で展示会が開かれるようになった。この背景には、彼の出身地が古玉器を多く産出する地域で、地元の知人達が頻繁に品物を運んで来るようになったことがある。

 まずは、トイレットペーパーでグルグル巻きにされた作品から始める。これでは三流品にしか見えない。渋い顔で待っていると、現われたのは歴史の色合いが芯まで沁み込んだ好みの品だ。四体一組で、玉材には温潤な青黄玉が使われている。中国の代表的礼器を手にしているところから神官たちであろう。可愛い顔も魅力だ。特徴的な耳の形から、製作されたのは東漢時代と思える。この小品には、「供礼器?座神官」と命名した。

 次も四体が一組になった品で、女性三人男性一人の珍しい組み合わせだ。特徴は裾に向かって広がっていくラインで、戦国から前漢にかけて流行したデザインである。鋭い目から想像すると、高官に仕えた側近たちに思えてくる。良質玉材が使われていて、その魅力を引き出そうと懸命に磨いた。しかし、綺麗になってくれない。数日間水につけていたこともあるが、試みは全て失敗に終わった。相応しい名前も思い浮かばず、取りあえず「官人揃い」と命名した。

 地下室展示会は1年半ほど続き、地下室の雰囲気に抵抗を感じるようになってきた。骨董趣味はやはり優雅でなければならない。中国茶を飲みながら、ゆったりした気分で古き良き時代の骨董品を眺めたい。そこで、次回から茶館で展示会を開いてもらうことを闇商人に頼んだ。

 第一回茶館展示会が開かれ、初めて清代の作品が登場してきた。竹杖を手にした老人の立像だ。何者だろう?似た姿の老人には、「福禄寿」、「寿星」、「羅漢」などがいるが、彼等とは持ち物や雰囲気が違っている。迷った末に、普通の老人を意味する翁にして「竹杖翁立像」と命名した。玉材には、これまで見たことがない白玉が使われていた。清純な色合い中に、滲んだような黒い線が見える。

 調べると、乾燥した砂漠に千数百万年間転がされてあった玉材のように思えてくる。彫りも素晴らしく、知性的な顔立ち、紙のように薄い衣、今にも動き出しそうな姿、名人級彫り師の作品に違いない。闇商人も同じように思ったようで、鼻を膨らませて「他にも欲しいという人がいるから。」と強気に言ってきた。

  言い方は気に入らないが、彼の言い分は認めるしかない。提示額で購入することにした。数年後に北京の故宮博物院玉展示場を見学した時のことだ。竹杖を手にした同じ雰囲気の翁像が展示されてあった。しかし、その像からは全く魅力が感じられなかった。

 話を戻して、翁像の商談が終わったところで闇商人が「これを買ってくれないか。」とポケットから小品を出してきた。友人から贈られた品らしく、これを売って奥さんと旅行に行きたいと言う。これまで世話になったことへの感謝の気持ちと旅行の餞別を加えた額で買うことを伝えた。

 彼は、いったい何事が起きたのかという様子であった。これまで値切るばかりしてきたからだろう。この品は清代後期の作品と思われ、小品ながら緻密な彫りが施されてある。一番の魅力は、ゆったりと過ごす老人の姿だ。まるで仙人のようで、「仙翁童子龍置物」と命名した。

「玉収集のその後-15」へ続く。