…1月の西安…
西安へ訪問客が 

 知人が、奥様と友人夫婦を伴って西安へやって来る。滞在は3泊4日の予定。この時期の気温は37℃〜39℃の厳しい暑さ、無理のないスケジュールを立てることが肝要だ。また、故障のない冷房機が装備された車選びも重要である。調査の結果、車はアメリカ製ラグジャリー・ワンボックスカー、宿泊は五星ホテル、食事は西安で一流と呼ばれているレストランを手配した。

 スケジュールは、知人の希望を組み入れて初日に陝西省歴史博物館、大雁塔、2日目は兵馬俑、華清池、歌舞鑑賞、3日目は城壁、書院門古文化街、大唐西市(骨董市場)、崗山事務所見学に決めた。

 早朝の便で上海を出発し、午前10時25分に西安空港へ到着。市街地に移動して、まず宿泊するホテルにチェックイン。一息入れてもらったところで一行の歓迎昼食会を開く。初めてお会いする奥様方のお口に合うか気になるところだ。

 西安で一番の楽しみは食事だ。メニューは厳重に試食してから決めた。ハイライトは「海燕の巣」だ。高価なので、申し訳ないが奥様方だけに限定させてもらった。奥様方の食事全般の評価は、「どの料理も美味しかった。」、「中華料理の新しい発見をしました。」であった。

 西安にはもう一つの楽しみ骨董がある。

 青磁を希望されたので、馴染みの店に品揃えを頼んである。だが、焼物はこの3年間で20倍も値上がりした。西安でわざわざ購入することもないと思われるに違いない。そこで、「玉」の品揃えも頼んでおいた。


 骨董店を訪問、青磁はだめだった。直ぐに玉の展示に切り替えたのだが、困ったことになった。私には、玉になると我を忘れてしまう悪い癖がある。お客様どころではなくなり、夢中で選別作業を行なってしまった。2点を選び、予約しようと思った次の瞬間「待った」の声が入った。お客様が、この2点をお買い上げになりたいとおっしゃる。「エー、2年も前から頼んでいた品なのに。」と、ブツブツ独り言。ここはお客様にお譲りするしかないだろう。

 最後は、不動産事情調査のための崗山事務所訪問である。その際、両手で抱えるほどのお土産をいただいた。東京のクッキー、かりんと、せんべい、羊羹等々である。北海道の「白い恋人」もあった。スーツケースは土産でいっぱいになっていたであろう。当然、帰りはガラガラ状態。こちらもしっかりと土産を準備しなければならない。しかし、西安には日本人の口に合う菓子がない。いつもの茶葉と南京豆になる。
 
 以上が報告だが、はたしてお客様の印象はどうだったのか? 帰国後、知人夫婦から食事に招待された。西安の印象についてお訊ねしてみたところ、「食事がとても美味しかった。」、「車が快適だった。」であった。そういえば、運転手がいずれの観光地でも、交通係の制止を無視して私たちの前に車を止めてくれていたことを思い出した。西安には、シルクロードに始まる「旅人に優しく」の精神が今でも残っている。


 

 

 

 

 

 


賃金改訂で思うこと

 中国沿岸部の労働賃金は上昇を続けている。昭和50年代の日本と同じだ。一昨年あたりから、西安でも上昇が始まった。理由は、沿岸部にある会社が西安に事務所を開設して、高賃金で経験者の採用を始めたからだ。これまで西安で頑張ってきた会社にとっては、高賃金に誘われて社員が転職していくことが問題になってきた。

 沿岸部の会社は、何故高い賃金が払えるのか?それらの会社では、25歳から30歳までの経験者に絞って高い賃金で新規雇用している。しかし、彼らが32歳を越えてくると、半額以下の賃金で再雇用されるか、退職していくかを本人に選択させている。この方法で全体の賃金を調整しているようだ。

 非人間的なやり方だ。だが、社員たちはこれを当たり前のことと思っている。彼らの考え方も現実的で、稼げるときに稼げればそれでいい。それに、32歳からの人生はその時になってから考えればということだ。これが西安の実情である。

 デパートへ買物に行っても、商品知識を持った経験者がいない。客にとっては実に不便な話だ。商売繁盛を願うなら、客に満足してもらえるだけのサービスが提供できる経験者を配置すべきであろう。ソフトウエア商売も同じと思う。

 話を賃金上昇に戻して、当社にとっても大問題である。日本経済の不況に合わせた改訂しか実施してなかったことで、沿岸部の会社とは差がついてしまった。就職を控えた学生たちに、「32歳過ぎると当社の方が良くなるよ。」と説明してみても、理解してはもらえないだろう。このままでは新規採用に影響が出でくる。覚悟の改定が必要だ。

 


 



…8月の西安…
帰任社員の土産

  

 日本で実習中の社員1名が、期間限定で西安へ帰任してくる。目的は、募集活動を補佐するためだ。彼がこの役に選ばれたのは、昨年の応募者人気投票でNo.1になったからである。

 帰国前の2ヶ月間、彼は買物リストを持って忙しく岡山市内中を歩き回っていた。土産準備のためだ。両親には兄弟が多く、叔父・叔母・従兄弟が大勢いる。準備した数は30個以上、専用のスーツケースまで購入したというから半端ではない。

 興味が湧いてきて、西安空港へ出迎えに行ってみた。手押し車いっぱいに荷物を積んで彼が姿を現した。エー、あの服装はなんだ。ほんとうに彼なの?確かに彼だ。服装について厳重注意しなければ。

 数日後、彼の帰国報告会を開く。聴くと、日本文化を驚くほど感じ取っていた。これまでに帰国した社員の中で一番の出来だ。ご褒美として、服装の罪を少し減じてあげることも考えられるが、罪は罪として罰するべきであろう。

 

 

 

 

 



妻を日本へ 

 日本で働いている社員が帰国休暇中に結婚した。新郎は日本に戻り、その後は別々で生活をしている。夏になり、新郎が我慢できなくなった。妻と一緒に日本で暮らしたいと会社に許可を求めてきた。

 会社としては許可したくない。理由は、新婦が日本の生活環境を知らないからだ。その事で起きた事故を多く見てきた。だが、配偶者を日本へ呼び寄せることは本人の自由で、会社が決めることではない。

 日本の名言「亭主元気で留守がいい。」の話をしてみても、今の彼には無駄であろう。返事は、「協力できないが、あなたの裁量と責任でやるならどうぞ。」になる。
だが、心配事は多い。

 1. あなたが西安へ出張すると奥さん一人になるが、大丈夫?

 2.奥さんが日本の生活に慣れなかったら?

 3.子供を生むのは日本・中国どっち?

 まだまだあるが、今は二人が仲良く日本で生活してくれることを願っている。

 


 

新入社員教育を考える  

 3月上旬に行った採用内定者実習では、実践教育よりも「人としての考え方」の教育を優先させた。「相手の立場に立って物事を考える。」などといったことだ。彼らは覚えてくれているだろうか?
 
 9月から始まる新入社員教育では実践教育を中心に行うが、内容はこれまで見てきた西安の問題点が対象になる。「どうしてこんなことまで教えなければならないの?」と、毎年悩んでいるがやはり必要なのだ。

 問題点について少しお話する。この時期に会社訪問すると、事務所へ入った途端に汗臭い匂いがしてくる。また、エレベーターの中などでは、悪臭を放つ服を着ている者がいるからたまらない。「毎日風呂に入っているの?」、「シャツは毎日取り替えているの?」と訊ねたくなる。

 その他、順番待ちの列に平気で割り込む、所かまわず大声で喋るなど不愉快に感じる大人が多い。社員には、この様な人間になってもらいたくない。

 子供の時期から、人に迷惑をかけない教育をしっかりとやってもらいたいものだ。学業成績ばかりを気にする教育では、決して魅力ある学生は育たないと思うのだが。




 

 


…9月の西安…
新入社員が出社


 新入社員がスーツ&ネクタイ姿で初出社して来た。目立った緊張感は見えない。3月の実習で会社の雰囲気には慣れたようだ。入社手続、就業規則&賃金規定、先輩からのアドバイス、社会人としての心得と教育を進めていく。

 日本の状況を話す際には、どうしても中国と比較することになる。中国の悪口が多くなり、彼らの気分は沈みがちになってくる。「現実は現実として認めなさい。」と指導してみるが、「中国は世界一素晴らしい国。」と、教えられてきただけに彼らの立ち直りは遅い。中国は悪い国ではないと抵抗してくる。

 今の崗山事務所は、日本での生活経験を持った社員が増えた。その先輩たちが私の話にそうだそうだと頷く。こうなると、抵抗していた新入社員たちもゆっくりではあるが私の話を認めるようになる。彼らの苦しみは暫くの間続くが、きっとこの壁を乗り越えてくれるだろう。

 

 



反日運動

 
 
帰国直前になって反日活動が活発になってきた。原因は釣魚島問題だ。テレビでは、「日本は島を盗んだ。」と繰り返し報道されている。例年のことだが、国慶節が近くになると愛国心を煽り立てるニュースやドラマが流される。悪役はきまって日本人だ。

 高新区管理委員会から、15日と18日に反日運動があるので注意するようにと連絡があった。15日は私の帰国日だ。安全第一、馴染みの運転手に空港までの送りを頼んだ。反日運動では日本車が狙われるので、日本車以外の車でと条件を付けた。早めに西安オフィスを出発、市街地を避けて高速道で空港へ直行。無事帰国した。

 その夜のテレビニュースで反日運動の様子が報道された。西安の鐘楼周辺では公安車が燃え、日本車がひっくり返されていた。その他、日本人が多く宿泊するホテルに乱入する様子もあった。中国では見ることが出来ない映像だ。車の持ち主もホテルの経営者も、同じ中国人なのにどうして? 「愛国無罪」の呼びかけが、若者達を暴動に走らせてしまったように思う。

 帰国前夜に寄った食堂で、隣のテーブルにいた若者グループが釣魚島問題について話し合っていた。その中の一人が、「日本人は、世界一知的レベルが高い国民だ。中国政府が間違っているのかもしれないよ。」と話していた。こんな若者もいる。

 領土問題は世界中で起きている。話し合いで解決できるなど考えられない。中国も日本も釣魚島問題を解決させようなんて思わないで、未解決のままそっとしておいた方が賢いと思うのだが。

…10月の西安…
会社説明会開催

 
 9月中旬の反日運動の影響で、大学内での会社説明会開催を諦めていた。しかし、その後は落ち着きを取り戻して、予定通り開催できることになった。予想外の結果だ。

今年の募集活動の改善は、リクルート社へ委託していた作業を自社で行うことにしたことだ。学生たちからの話で、「教授や学校からの情報は信じるが、リクルート会社などの民間情報は騙される危険があるので信じない。」と聞いてからである。

 もう一つの改善は、参加者へのプレゼントを準備したことだ。社名入りの日本風「枝折り」である。ささやかではあるが、予算のことを考えれば仕方がない。世間では、抽選でiPadをプレセントする会社まである。貧乏の悔しさはあるが、学生は会社の魅力で集めるもので、高価な品物で釣るようなことはすべきでないと考える。

 大学内会場で3回、大学外で1回の会社説明会を予定している。また、ソフトウエア・パーク主催の合同企業説明会にも参加する。チラシ配り、ポスター貼り、案内板や幕の設置まで、全て自社で行った。終了後には、残す物なく回収して持ち帰った。この様子を見ていた学生達は驚いて、寮でこのことを話題にしたと聞く。当たり前のことなのだが。

 説明会参加者の感想文には、「これ程素晴らしい会社説明会は初めて。」とか、「これからの人生が見えてきた。」、「是非とも貴社で働きたい。」と多く書かれてあった。この説明会を企画した西安スタッフの大手柄だ。



 

 

…11月の西安…
採用試験


会社説明会参加者が増えたことで、筆記試験受験者が増えた。その結果、高得点者数が増え、最高得点も10点高くなった。嬉しいことだ。だが、ここまで高くなると、これまでに採用した社員の点数は何だったのかと不安にもなってくる。

会社説明会の内容を充実させたことで、面接試験では腹が立つ学生がいなくなった。満足できるレベルに達した学生も数人いた。ここまでは順調に進んできたが、その後が良くない。身体検査の結果が悪かった。健康問題で採用できない学生まで出てきた。

 学生たちの健康管理は、年々悪くなっているようにも感じられる。面接の際に普段の食事について訊ねているが、栄養バランスのことなど全く考えていない。食事は腹が膨れればいいといったレベルである。

 

 

…12月の西安…
2012年の終わりに西安で考える

 66歳にもなってくると、1年があっという間に過ぎて行く。12月末に未解決問題が多く残り、気分も沈みがち。年齢的な体力・気力の衰えもあるが、それよりも理想が年齢と共に高くなっていることが原因のように思える。このままでは身がもたない。

 スッキリした気分で年越しが出来ないものか?その答は、考え方を変えしかないということだ。では、どの様に変えれば?答えは、「理想を高くしない。」、「自分一人で解決させようなんて思わない。」、「若者に負けてなるものかと意地を張らない。」といったことであった。

 この考え方に変えることができたなら、問題数は減り無理なく全てが解決できるようになる。2013年からはこの考え方で生きて行く。他人からどう思われようと気にすることなく。



 

 

 

 

玉収集のその後-10


購入資金を紙袋に詰め込んで、伎楽飛天との再会を楽しみに骨董店へ行く。オヤ、店主の様子がおかしい。訊ねると、お目当ての品は当局に没収されてしまったと言う。頭の中は真っ白、飛天たちは何処へ消えた?

店主は、自分は被害者だということを何度もアピールしてくる。何を言うか、真の被害者は私の方だ。直ぐに話を信じることはできない。儲けが多い客に売ったことも考えられる。

普段は諦めが早い方だが、今回ばかりはそうはいかない。これを最後の収集品にしようと心に決めていたからだ。6人の美女たちが1体に納められた見事な品であった。それが、携帯電話に残された一枚の写真だけになってしまった。実に哀れな話だ。

落ち込んでばかりではおられない。気持ちを整理する。今回の出来事は神様のお告げかもしれない。「中国の宝物を、これ以上日本へ持ち帰ってはいけません。」とおっしゃっているのだ。無理矢理に頭を切り替えて、どうしようもないモヤモヤに決着をつけた。

玉収集を始めて7年、自室は専門書と収集品に占有されるようになった。それに、玉研究が玉石を科学的に分析するところまで進んでくると、玉を顕微鏡で覗くようになった。こうなると、玉本来の魅力である神秘性や情緒性が薄らいでくる。ここらが潮時なのかもしれない。

新規の収集品がなくなると、「玉収集のその後」が書けなくなってしまう。これは困った。そこで、今後の活動についてじっくりと考えてみた。これからは収集品の磨きと整理作業になる。それならば、作業を進めながら未発表作品を書かせてもらったらどうだろうか。



試しに作業を始めてみる。まず、初期の収集品が入った保管箱を開けてみた。この時期は、美麗さと繊細さを求めていた。透かし彫りが好きになり、鮮花を入れて香りを楽しむ「花薫」と呼ばれる容器2点を収集した。「花薫」は唐代に始まり、清代に最盛期を迎えたお洒落な楽しみ方だ。

初めて「花薫」見た時は、何のために使うのか全く分からなかった。器全体に穴が開いていては香炉としては使えない。菓子でも入れたのだろうか?美麗だからまあいいかと思って、用途など気にせず購入した。その後の調査で、部屋に置くための芳香剤容器であることが判明した。それからは、貴婦人達の優雅な暮らしぶりが見えてくるようになった。

次に出てきたのは、清代に流行したインド風デザインの透かし彫りの瓶である。姿も好きだが、灰色かかった青玉の色合いが気に入っている。渋く、日本の「さび」の趣までが感じられる。同じ玉材が使われた作品を見たのは、北京の博物館にある1点だけだ。華麗さを求めた清代にあっては、この渋さは大変珍しいのではなかろうか。持ち主は、きっと心優しい貴婦人であったに違いない。

この瓶には暗い過去がある。購入時は純白色だった。だが、磨き作業を進めていくと色が黒っぽく変化してしまった。これは、高く売るための偽装工作が施されていたということだ。初めは騙されたことに腹を立てたが、落ち着いた色合いを眺めていると自然と心も静まってくる。今では、素肌の魅力が理解できなかった馬鹿者がやった愚かな行為だとしか思っていない。

次は、中国を代表する美術品と言える透かし彫りの瓶である。玉材は透明感のある乳白色の新疆和田産優質白玉、それに名人級の職人が手を入れた美麗な作品だ。一目惚れして、値引き交渉なしで購入したことを覚えている。最近になって、売主がこれを買い戻したいと度々言ってくるようになった。その訳は、和田産玉の採取禁止と透かし彫りができる職人がいなくなったことによる価格の高騰であろう。

この瓶にも思い出話がある。2011年3月に東日本で発生した大震災の際、売主夫婦はこの瓶が壊れてないか一番に心配したと言う。この話を分析すると、私の身など気にしなかったということになる。もう少し愛想良い話しができないものか。

収集品にはそれぞれに思い出がある。その思い出が真の宝物なのかもしれない。私の骨董趣味も少し『さび』が出てきたようだ。


「玉収集のその後」は次へ続く。