世界経済不況により、2012年度の「西安開設期」予算は前年実績の50%カットになった。対処するには、発刊を年4回から2回に減らすしかない。この決定により、Vol.29の発刊が4月から7月に変更になった。事情ご賢察の上、ご了承くださいますようお願い申し上げます。回数は減っても、「西安開設期」は続けてまいります。

…1月の西安…
新・開発技術者教育が始まる 

 昨年の夏から本社で、崗山新入社員用の新・技術教育マニュアル作成を進めてきた。作成にあたっては、テクニックよりも正確性を重視した。12月末に完成、新マニュアルを携えて教育を担当する崗山社員が帰任してきた。


 新入社員たちは大喜び。その訳は、昨年9月の入社から、日本語ばかりを勉強させられてきたからである。1月から新指導を始めた。これにより、本社赴任後の教育が短縮されることになる。


 新入社員の諸君たちよ、日本語の時間数が減ったからといって喜ぶのは早い。1日あたりの勉強量に変化はないのだから。



 

 

 

 

 


春節休暇はどちらで?

 春節休暇を西安で過ごすか、それとも岡山で過ごすか結論が出せないままでいる。春節休暇中には、この期間しかできない「人脈作り」というとても大切な仕事がある。迷っているのは、昨年インフルエンザ治療中に起きた失神事件のことがあるからだ。

 意識が戻った時は集中治療室のベッドの上、血圧は異常数値を示し、生命の危機を感じてしまった。これを教訓にして昨年暮れには予防接種を済ませたが、事件の恐怖は未だに消えていない。


 今年の状況を分析してみることにした。西安は例年になく寒い。また、昨年とは違う型のインフルエンザ流行の兆しがある。この状況で出張するは無茶だと思う。


 NHK国際ニュースでは、華やかな中国春節の様子が報道される。見ると寂しくなる。西安の知人たちは、「インフルエンザが怖くて今年は来ないのだ。」と悪口を言っているようだ。来年はどうしたものか?

 

 


 


 



…2月の西安…
大学関係者が岡山を訪問

  

 陝西省師範大学一行が、岡山大学との国際交流を目的に岡山へやって来る。メンバーの一人は、崗山で日本語を教えてくれている教授だ。手配は済ませたが、日程通りに進んでくれるか心配だ。


 心配は的中、西安を出発する日にトラブルは起きた。濃霧発生、上海便は大幅な遅れである。一行が上海に到着したのは夜遅くなってからで、乗継便は既に出発した後のことだった。「この時期の出張には、1日くらいのゆとり持って下さいね。何度もアドバイスしてあったのに。」と独り言。急ぎ変更の手配に掛かる。


 一行の到着を待つ。顔が見えた、挨拶をしている暇などない、岡山大学へ急がなければ。大学では国際交流を担当されている副学長と面談。副学長のお話では、「岡山大学は、日本の大学の中でも国際交流に関してはトップレベル。中国東部にある数校の大学とは既に交流を始めている。

 今は、内陸部にある大学との交流を検討しているところ。」とのこと。また「中国との交流拠点として、4月には北京に事務所を開設する。」であった。これはグッドタイミング、両校の接点が見えてきた。


 気分も上々に一行の観光案内をする。倉敷美観地区から瀬戸大橋、後楽園を見てから本社事務所へ案内した。コースの中では、やはり海が見える瀬戸大橋が一番人気であった。飛んだり跳ねたり、一行は大興奮。


 終業後に、崗山社員も合流して一行の歓迎会を開く。中国語が飛び交い、賑やかな歓迎会になった。私一人が蚊帳の外、食べてばかりしていた。そんな中、嬉しいことを一つ聞かせてもらった。学院長が、「短い期間によくここまで社員を教育されましたね。」。これは、心に沁みる一言であった。


 一行は日程の遅れを取り戻すため、この夜の内に京都へ移動した。見送った後、「岡山には2泊するはずだったのに。」とまた独り言を呟いた。

 

 

 

 

 

 



岡山空港で出迎える 

 2010年9月に入社した中で、ただ一人西安に残っていた社員が岡山へ赴任して来る。赴任が遅れた理由は、彼の日本語修得が遅れたからに他ならない。よく喋る人ほど上達が早いと聞いていたが、彼には当てはまらなかったようだ。


 予定の便は、この時期にしては珍しく定刻通り岡山空港に到着した。20分程して姿を現したが、普段の様子とはまるで違っている。眼は吊り上がり、身体全体が固まっている。気にしないタイプだけに、見ていると笑いたくなってしまう。その他にも異常なことがあった。

 崗山一大食いの彼が、食事に誘っても断ってきたのである。この現実を信じることはできない。寮へ直接案内する。

 仲間の顔を見ると表情が緩んできた。「今から食事に連れて行ってほしいと言われても、もう遅いよ。」、声には出さなかったが心の中で呟いていた。

 

…3月の西安…
採用内定者の実習 

  昨年秋に採用を内定した学生が、実習のために出社してくる。期間は2週間、この間で、彼らの考え方を180度転換させることを目論んでいる。転換を確実にするために、今回は話し合いの時間を多く持つことにした。


 例年教えてきた作法などの時間を削り、人としての正しい考え方や行動について長時間話し合った。この話し合いで、短時間のうちに彼らの考え方が変化してきた。一日ごとに眼が輝きを増していく。


 研修後の彼らの声を聞くと、「これからの人生が見えてきました。」であった。喜ばしいことだ。何故、中国では学校や家庭で人としてのあるべき姿について教えないのだろう。学問よりも、人としての教育の方がもっと大切だと思うのだが。




 

 


…4月の西安…
秦嶺山脈への旅

 バイク好きの連中に誘われて、週末に秦嶺山脈への旅に出た。痺れるような単気筒サウンドを響かせて、ハーレー・ダビットソン十数台が集まってくる。全員がハーレー・マーク入りのコスチュームで着飾っている。50歳になるまで1000ccバイクに乗っていた私にとっては、血が騒ぐイベントだ。バイクに乗りたいが、今回はアメリカ製ワンボックスカーに同乗させてもらっての旅である。谷間に激しい排気音を響かせてバイクの列は進む。


 途中で山の小学校に立ち寄り、文房具をプレゼントする行事があった。西安の放送局も同行していて、夜のニュースで放映されるらしい。運動場にバイクが並び、おじさん達が整列。子供らは、異様な服装をしたおじさん達を怖がっているようにも見える。


 贈呈式の後、昼食を馳走になりバイク連は再び発進。渓流を眺めながらの快適ドライブが続くはずであったが、主要道を外れた途端に道は怪しげな雰囲気に変わった。道幅は狭くなり路面は落石だらけ、転倒するバイクまで出始めた。道は曲がりくねり、雨で流された箇所まである。足を踏ん張り、手は椅子をしっかり掴んでいた。


休憩ポイントでバイク連の一人が、「一年分の砂埃を吸ったよ。」と笑いながら話していた。バイク乗りの楽しみは十分知っている。悔しい、一緒に砂埃を吸いたい。その他、「最近では、西安も自然を楽しむには苦労するようになった。楽に行ける所は人が多いだけだから。」と言っていた。休日の過ごし方も変わってきたようだ。


 目的地に到着。牛の鳴き声しか聞こえない静かな谷間の村。世界的なパンダの調査基地になっていて、ドイツ人が設計したお洒落なロッジが建てられていた。今夜の泊まりは安心だ。

 突然、隊長から流暢な日本語で声をかけられた。こんな山奥で日本語を聞くとは驚きだ。聞いてみると、日本で生活した経験があり、隊長が着ている革製のチョッキとズボンは日本で買い求めた品だという。

また、隊員たちの多くは、東京の専門店までハーレー用品を買いに行くとも言っていた。彼らのこだわりは半端じゃない。


 村の名物麺で取りあえず空腹を満たし、暗くなってからは屋外でバーベキューとビールで仕上げをする。その後は、バイクの話で夜遅くまで盛り上がることだろう。年寄りは付き合えない、早めに引き揚げさせてもらうことにした。澄んだ空気、星空、無音を楽しみながら幸せな眠りについた。


 翌朝、玄関前にBMWロングツアラーが数台停まっていた。食堂へ行ってみると、BMWマーク入りの服を着た連中が食事をしていた。野生派のハーレーグループ、紳士派のBMWグループ、それぞれにバイク乗りには服装までにもこだわりがある。


 バイクを眺めていると、若き日のことが思い出される。軽快なホンダサウンドまで聞こえてきそうだ。そう言えば、ハーレーグループの中に1500ccホンダウイングが1台いた。グループの総合評価では、この車が一番快適で乗りやすいとのことであった。ライダーが快適さを求めるか、ワイルドな荒々しさを求めるか、それぞれの好みによるところだ。



 

 




日本のゴールデンウイーク

 
 ゴールデンウイークの過ごし方について、本社にいる崗山社員に訊ねてみた。返事は、「出かける予定はなく、寮で過ごす。」であった。「エー、出かけないの?」理由は、「お金を使いたくないから。」であった。

 「若い時は自分に投資をする時期で、金を貯める時期ではないでしょう。」と言うと、彼らは「早く結婚したい。そのためにはマンションを買わなければ。」と説明する。中国では、マンションと車を持ってないと男は結婚できないというのが常識だそうだ。彼らの青春は金を貯めることだ。「結婚ばかりが人生ではないだろう。」と言いたくなるが、事情を知ると沈黙するしかない。


 愚痴っていても仕方がない、彼らにボーリングゲームをプレゼントすることにした。西安では贅沢な遊びで、生まれて初めてやる連中ばかりだ。ボールの選び方から計算方法、マナーや投法を教えてゲームをスタートする。


 理想の投げ方を指導した先生が、この日はどうも調子が変だ。板2枚分左右どちらかに外れてしまう。フォームを修正してみるが、一向に改善される様子は見えてこない。これは困った。終わってみれば惨めな成績であった。3ゲームで500点を下回るなんてことは考えもしなかっただけに、ショックは大きい。一方の社員たちは大喜びだ。まあ、彼らが喜んでくれたのだからそれでいいとするか。でも、二度とボーリングはやらないぞ。

 

 



…5月の西安…
帰国休暇の社員が出社

 
 1年2ヶ月振りに帰国してくる社員がいる。帰国報告会が楽しみだ。日本製スーツで身だしなみを整えて出社してきた。日本の滞在期間を通算すると2年5ヶ月になる。ここまでくると、体の動きまでが日本式に変わる。


 帰国報告会が始まる。内容がない、裏切られた。外見は向上したが、肝心な日本人の考え方についての理解ができていない。大きな課題が見えた。


 報告会後、彼を呼んで話を聞いた。自分が優秀だから、自分一人の力で成長したように思っている。それに、もう一人前の技術者気取りだ。彼は会社に改善要求まで出してきた。


 要求することは決して悪いことではない。しかし、会社のことも上司の立場も考えないで、自己中心的な考え方だけで要求することは許さない。日本で何を学んできたのか?目標であるBSE(ブリッジ・システムエンジニア)に求められるのは、相手の立場に立って物事を考えることだろう。


 その他、多くの崗山社員から感じられることだが、新人も先輩も同じ会社で働く仲良しグループ。厳しくない先輩が良い人で、会社や上司は自分達の敵だと考える傾向にある。厳しい上司や先輩こそが、自分を成長させてくれる最良の人たちであることを教えなければならない。新人教育ばかりに眼を向けていたが、これからは先輩たちの教育に力を入れなければ。




入社・帰国の歓迎夕食会

 
 今年こそはと社員旅行を企画したが、多発するバス事故が気になり中止にした。企画を変更して食事会を開く。偶然にも、日本語の先生が入社、帰国休暇中の社員もいる。そこで、「夕食会」の前に「入社・帰国歓迎」の文字を加えることにした。


 文字の追加で、大衆レストランというわけにはいかなくなった。会場は5星ホテルのレストラン、食事はバイキング方式を選択する。お世話になっている師範大学の教授もお招きしてある。日本語を話す人がズラリと並ぶ。これで、私一人が蚊帳の外ということはないだろう。


 青島ビールの乾杯で夕食会を始める。おや、聞こえてくるのは中国語ばかり。教授が社員に何やら長い話をしている。期待はずれの顔をしていると、西安スタッフが「先生は社長のことを褒めてくれていますよ。」と耳打ちしてくれた。教授は社員教育を手伝ってくれていたのである。


 新規採用した日本語の先生は日本在住期間が10年、日本文化や日本人の考え方を十分に理解している。私、西安スタッフ、日本語先生、技術先生、日本語教授と揃うと、新入社員たちは日本文化にどっぷり漬けられることになる。崗山も教育体制が出来てきたようだ。


 

…6月の西安…
モルドバ共和国の旅人

 
 帰国日が近くなると、必ず立ち寄るレストランがある。イスラム料理店で、西安名物のヤンローパオモーを食するためだ。


 この店に、一人旅の欧州人と思われる若い女性が入ってきた。少しして、店員が困った表情をしながらやって来た。中国語が通じないので助けて欲しいというのだ。世話になっている店からの頼みだし、黙ってはおれない西安スタッフの性格もありで、役に立てるかどうかわからないが彼女の所まで行ってみることにした。


 英語が通じた。彼女は、「注文する料理が、毎回燃えるように辛いものばかりで困っている。今夜は、どうしても辛くない野菜と芋料理が食べたい。」と言ってきた。「よろしければ一緒に食事しませんか。」と、反射的に誘っていた。


 彼女は、ルーマニアから分離独立した小さな国モルドバ共和国から来た旅人であった。一人で旅する勇気を持っていることに敬服する。お互い母国語のなまりが入り、理解するまでに多少の苦労はあったが、楽しい時間を過ごすことができた。彼女も、食べたい物を口にすることができて嬉しそうだった。別れ際に、「明日の夕食も一緒にしませんか?」と、ごく自然に誘っていた。微笑みとともに「OK」の返事が返ってきた。


 国際級レストランでの夕食は、彼女も大満足の様子であった。欧州のお友達が一人できた。これだけのことだが、随分と心が豊かになったように感じられる。この満足を与えてくれたのは西安スタッフである。彼女は国籍や人種など気にしない国際人。誰とでも仲良くなれ、困っている人を見ると助けてあげたくなってしまう性格である。モルドバの旅人も、西安スタッフの優しさが分かっていたようだ。

 「西安でまたお会いましょう。」が、彼女の別れ際の言葉であった

 

 

 

 

本社で崗山社員の勉強会

 
 本社に勤務する崗山社員の勉強会を開く。理由は、社員が日本から西安に帰ると、発つ前に持っていた「素直さや厳しさ」を無くして「自己中で楽な考え方」に逆戻りしているからだ。


 本社の教育が間違っているのでは?本社で甘やかせているのでは?とか、彼らはお金を稼ぐためだけに日本に来ているのでは?などと、色々なことを考えてしまう。そこで、原因を徹底的に調査してみることにした。


 調査の結果、原因は「本社で厳しく言われないから。」であった。「厳しさ無くして成長なし。」初回のテーマが決まった。「厳しさ」である。
この問題の一番の解決方法は、本社が西安以上に厳しくなることだが、本社の先輩たちが厳しくなるのを待ってはいつになるやら。直ぐに私が始めるしかない。


 西安で教えたことの復習から始める。次に、今後学んでいかなればならない知識や技能を示してやる。最後に、自分に厳しくすることが、自身を成長させてくれる「奥義」であることを教える。この内容で、西安スタッフと連絡をとりながら準備を進めていった。


 中旬に第一回の勉強会を開く。話すだけでなく、彼らの考え方も聞きたい。私にとっても中国人気質を知るためのよい機会でもある。ただ、彼らの日本語能力でどこまで理解できるかが気になるところだ。


 勉強会の進め方も、一つ話すと一つ質問する方式にした。質問に対する応え方で、彼らがどこまで理解できているかが判断できる。状況によりスピードを調整していくつもりだ。
気力充実、勉強会を終えてみると3時間の予定が7時間にもなっていた。理解度は80%程度だろうが、言いたかったことはほぼ理解でしてもらえたようだ。


 終了後、先輩の教えである「社員教育はあめとむち。」を参考に焼肉屋へ直行する。最初のビール一杯はとても美味しかった。

 

 

玉収集のその後-9

 馴染みの骨董店の主人から久しぶりに電話が入ってきた。「最近顔を見せないので、体調でも崩しているのではないかと気になって電話した。」と言う。

 「元気で忙しくしている。」と返事すると、「頼まれていた品が入ったよ。」と知らせてきた。やはり、そうであったか。入荷したのは1年ほど前に頼んだ品で、もうだめかと諦めていた。

 店主の商売熱心さには頭が下がる。その品とは、国賓レベルのレセプションで使われる「酒卮」と呼ばれる一対になった酒宴のための盃である。短い期間しか作られていない稀少な品だ。「直ぐに行くから。」と返事した。


 本物を見るのは初めて、どうにも落ち着かない。「早く見せてよ。」という顔をすると、店主は「慌てない、慌てない。」と顔で返事してくる。「お茶は後でいいから。」の顔をしても、彼の様子に変化はない。待つしかない。


 「酒卮」が登場してきた。色白の肌、細身でスマートな姿、気品ある装い。これは、玉質が良く、デザイン・彫りともに申し分ないという意味である。国王同士が親交を深めるために使った盃だけのことはある。手に取ってみた。透明度も高く、温もりまでが伝わってくる。これを他人に渡してはいけない。


 2千年も前に国王たちが酒を酌み交わしたことを想像すると、頭の中が熱くなってくる。二人は仲良しになれたのだろうか?そんな物語までが浮かんできた。これが骨董の楽しみだ。
この盃にはどんな酒が似合うだろう?ひょっとすると、西安名物のザクロワインが似合うかもしれない。白玉を透して見えてくる薄桃色、身震いしたくなる。


 収集品の中には他に盃が3品ある。動物の角の形をした盃、西欧のワイングラスのような姿の盃、中央アジアの雰囲気が漂ってくる盃などである。汚れたまま店の隅に転がされていた品ばかりで、可哀想に思い買い求めたことを思い出す。


 玉収集のその後-10へ続く。