…7月の西安…

高新技術産業開発区の整備 

 高新技術産業開発区(略して高新区)の区役所が、新しく整備された第三期開発区へ移転してから1年になる。区役所が移転したことで、周辺にはオフィスビル、マンション、ビジネス・ホテルが建てられた。


 高新区の発展は、いつも区役所の移転から始まる。


 第三期開発区のイメージアップ戦略を進めている。街路樹を植え、洒落た街路灯を立て、歩行者天国の設置も決めた。これらの魅力を武器に企業の誘致活動を進め、上海と肩を並べる国際ビジネス都市に育てていきたいと考えている。最近では、区役所周辺で五星級ホテル高級オフィスビルの建設まで始った。

 初めてこの地を訪れた2006年には、何もない草原のような所であった。



 
大唐不夜城の誕生

 曲江新区・大唐不夜城の完成が近い。メイン通りの分離帯には唐代の英雄たちの像が数多く設置され、今では外国人観光客の姿を見かけるようになった。大雁塔から大唐芙蓉園と続く流れに沿って、西安が誇るエンターテイメントゾーン・大唐不夜城が誕生する。


 城内には映画館、コンサートホール、美術館、レストラン、各種のスーパーマーケットがオー
プン。不夜城内の施設は全てが唐代風で、照明が入ると幻想的な美しさになる。


 3年前、西安オフィスはこの大唐不夜城の隣に移転した。移転時は歩く人も疎らであったが、今は人と車で溢れている。初めてこの地を訪れた2001年には、大雁塔入口広場に立つ玄奘三蔵法師像の前から南に延びる道路が一本あるだけで、雑草生い茂る原野であった。




 



 

 大学都市の整備
  

 「西安には大学と大学院が幾つあるでしょう?」この質問に正解できる日本人は少ないでしょう。公立・私立を合わせた合計は116校になる。在校生徒数は120万人、とても日本では考えられない数だ。


 西安市は教育事業を更に発展させようと、南にある長安区に広大な大学都市を整備した。募集活動でこの地区を訪ねているが、どの大学のキャンパスも歩いて校内を移動するなんてことは考えられないほど広い。
 大学は全寮制で、入学すると校内にある学生寮で生活することになる。寮の近くにはスーパーマーケット、書店、食堂、理髪店などが並び、日常生活で学生が不便を感じることはなさそうだ。


 視点を変えて考えてみた。120万人の学生がもたらす経済効果についてである。電卓で、一人当たりの授業料、寮費、生活費、遊興費を合計、その値に学生数を掛けると驚きの数値が表示される。この数値から、西安市が大学都市を整備する目的が見えてくる。


 西安市の教育レベルは高く、中国で第三位と言われている。国防、電子、情報、医薬といった産業が盛んで、特に、理系を志望する学生たちが多く集まってくる。大学都市整備により、学生数は更に増えていくだろう。教育が西安で第一の産業に発展していくことも考えられるようにな
ってきた。



 




 …8月の西安…

講演のテーマは「西安事情」

 岡山の某ロータリークラブから、西安の現状について話をしてくれないかと頼まれた。6月下
旬に西安最新映像の撮影、7月上旬には原稿書きと準備を進めてきた。しかし、7月中旬になって作業がストップしてしまった。理由は、9月以降の講師の顔ぶれを聞いたからである。

 喋りの達人と呼ばれる人たちばかりで、何故そこに私の名前があるのか悩み始めた。
 若い頃のことを思い出した。音痴でカラオケが苦手な私に、先輩達は「前座に一曲やれ。」と、いつも声を掛けてきた。理由は、私が歌うと後がやりやすくなるということだ。講演もカラオケも同じと考えれば、全く気にならなくなる。準備を再開した。


 7月下旬、崗山の社員を前にリハーサルをやった。評判は最悪で、話が硬すぎるとか映像と台詞のタイミングが合ってないなどとボロボロであった。ここで奮起しなければ、硬い台本を書き直し、発声や映像とのタイミング合わせの練習をした。


 本番当日になる。プロジェクターの電源が入り、開始の映像「西安事情」が映し出された。緊張のスタートだ。それでも、話しているうちには調子が出てくるもので、台本にない台詞が飛び出すようになってきた。進行役から「残り1分」のメッセージを3度も出されたが、これを完全に無視して最後まで喋った。


 講演の評判などは気にしていない。苦手だった講演へ挑戦できたことで満足している。


 夏休みの宿題はビデオ撮影

 久しぶりに日本で夏休みがとれると喜んでいたが、西安スタッフから宿題が出た。それも、苦手なビデオ撮影である。テーマも盛り沢山で、崗山社員の岡山寮での生活、本社での朝礼やレビューの様子、先輩からのアドバイス×2名分まである。夏休みは夢物語になった。


 目的が会社説明会のためだけに、ここで愚痴るわけにもいかない。頭を切り替えて、寮の様子から撮影を始めることにした。噂では、普段はかなり汚れているらしい。しっかり掃除しておくように前もって指示しておいた。


 寮到着後、各所の掃除度をチェック。撮影には耐えられそうだ。食堂、台所、洗面所、風呂と撮影を続けたが、トイレまで来ると止まってしまった。「何を撮ればいいの?」誰かを座らせると生々しくなる。誰もいないと殺風景だ。難しいシーンの撮影になった。

 暫く考えてから、画面の半分を案内役の姿、残りの半分をボケ気味のトイレの様子にしてこの難問を解決させた。最終シーンは、居間で日本語を勉強している様子とネットで家族と楽しそうに話をしている様子にした。


 次は、朝礼とレビューである。課題であった手持ち撮影に挑戦することにした。結果は、若干スムーズさには欠けていたが、映像に動きがあってなかなかの出来栄えである。渋々始めたビデオ撮影ではあったが、課題へ挑戦できたことが良かった。


 最後は先輩からのアドバイス。二人とも昨年の出演経験者、ゆとりを持っての撮影だ。二人とも大した役者振りであった。
 




 

 ホームページの全面改修

 5月から、ホームページの全面改修作業を社内で行ってきた。担当したのは、昨年9月に入社した社員たちだ。5月に社員自らが企画、6月からは西安スタッフも加わって検討会議を繰り返し行いながら作業を進めてきた。そして、8月末で終了した。


 改修の主な内容は、

@社員が目指す「ブリッジ・システムエンジニアとは」を前面にもってくること。今迄は最後にもってきていたが、これではアピール度が低いように思われる。

A文字情報からビジュアル情報へ転換。今の時代には当然のことだろう。

B動画を導入する。手間は掛かるが、注目度は増すに違いない。

C爽やかさが感じられるデザインにする。崗山カラーを、どの頁からも感じられるようにしたいと願っている。


 全面改修を社員に任せたのには二つの理由がある。

@社員が会社の目標を明確に理解できていること。

A学生の気持ちが分かっていることだ。

 それに、若い感性でやるべきで、年寄りが出しゃばるべきでないとの考えもあった。9月上旬に最終チェックを行い、中旬にはリニューアル版がデビューする。


 

 



…9月の西安…

  新入社員が出社

 
 1日、ダーク・スーツを着た新入社員が出社してきた。緊張気味の顔からは不安な様子も見えてくる。これが新入社員というものだろう。


 堅苦しい入社式や社長挨拶は昨年廃止した。初日から即実践教育に入る。例えば、新入社員の入社挨拶を西安スタッフがビデオカメラで記録する。次に、気付いた点を彼らに教え、もう一度入社挨拶をしてもらう。

 その様子も記録してから会議室に集めて、指導前と指導後の自分の行動記録を見比べてもらう。次に、何故そうするのかという理由を教えながら、模範となる挨拶をもう一度指導する。手間がかかるようにも思えるが、この方法で一度教えると修得する。

 これが我社の実践教育である。


 中国の学生たちは、日本式マナーとは全く無縁の世界の中で育っている。聞くだけで覚えろというのは無茶な話だ。彼らは知らないだけで、決して出来ないのではない。指導する側が手間を惜しまないで教えることが大切だと考える。


 また1年、同じ日々が繰り返される。腹が立つ時や情けなくなる時もあるが、成長していく姿
を見ていると教える元気も出てくる。



 初めての実習生受け入れ

 
 日本語を教えてくれている大学教授から、来年卒業予定の学生2名を実習生として受け入れてみてはどうかと提案があった。期間は2ヶ月、賃金不要、どんな仕事の手伝いもOKだそうだ。
また、学校から一人100元が企業に支払われるらしい。


 実習生の受け入れは、西安ではごく一般的な話である。会社によっては、専任者を置いて数百名の実習生を受け入れるところまであると聞く。当社はどうすべきか?実習指導ができるほどの人的ゆとりはない。迷うところだ。


 学部長が学生を連れて来社してきた。恐縮する。流暢な日本語で、「これ程日本が感じられる会社を訪問したことがない。」とか、「学生が実習させてもらうには最適の場所。」などと、褒められてしまった。こうなると、断るのが難しい。

 一度はやってみたいと考えていたことでもあり、今年は取りあえず実習生を受け入れることを決めた。話が決まってから、学部長が「11月上旬の実習発表会へ、会社側の方も是非参加して欲しい。」とか「実習での経験が、学生たちの卒業論文のテーマなる。」と話を続けた。

 プレッシャーをかけられた。それを感じると燃えてくるのが我社の常識、西安で最高の実習をやってやろうじゃないか。

 泣こうが喚こうがビシビシ教育していく気が湧いてくる。


 6日の朝、実習生2名が初出社してきた。面接時にはくたびれたTシャツを着ていたが、この
日は真新しいシャツになっていた。我社の第一関門はクリアーしたようだ。

 


募集活動計画

 
  積極的にやろうと計画している募集活動には、大学内での会社説明会開催がある。過去にも開いたことはあるが、これは西安ソフトウエアパークの支援をもらっての開催であり、単独での開催ではなかった。

 崗山も、そろそろ独り立ちする時期が来たように思っている。そこで、単独開催を学校に直接申し込んでみることにした。次は、会社説明会の内容変更である。

 昨年までは先輩たちがいたが、全員が本社へ旅立ってしまった。今は、昨年入社した社員と今年入社した社員たちだけだ。こうなってしまっては、先輩たちにはビデオ出演してもらうしかないだろう。


 また、人気No.1の求職サイトへの募集広告掲載を計画している。リニューアル版のホームページを開いてさえもらえれば、応募者は増えるはずである。崗山の経営理念、教育カリキュラム、雰囲気などの魅力を感じてもらえるだけの自信はある。


 最後の一つは、会社説明会での社長挨拶を3分から5分に延長することだ。学生たちの英語を聞く能力レベルが判ってきたからだ。最低でも60%程度の内容は聞きとれている。それならば、増やす意味があるりそうだ。英語スピーチに初挑戦した昨年と違い、今年は心にゆとりがある。

玉収集のその後-7

 
 若い店主の骨董店から、「珍しい品があるので見に来ないか。」と誘いがあった。彼がそこまで言うからには、きっと私が自制心を失ってしまう品であろう。危険は承知で、彼の誘いに乗ってみることにした。


 展示が始まる。以前からこれだけはどうしても欲しいと思っていた「馬車」が登場してきた。強烈な先制パンチをくらった。馬車の製作期間は短く数も少ない。喉から手が出るほど欲しい品だ。このチャンスを逃がしてなるものかという「欲」と預金残高が少なくなっているという「理」が、頭の中で戦いを始めた。結論が出ない。値段を聞いてからにしよう。


 提示された額は予想外に高い。それに、「絶対に値引き出来ない。」とまで言われた。どうしよう?諦めるしかないのか。沈黙作戦を試みることにした。


 沈黙の後、店主が動いてきた。「農夫をプレゼントする。」だ。その程度のサービスでは満足できないぞ。沈黙を続ける。それにしても、彼は何時農夫を気に入っていることを察知したのだろう。恐ろしいほどの感性の持ち主だ。


 少し時間を置いてから次の動きがあった。「西安スタッフにプレゼントがある。」だ。防備が弱
い側面から、実に巧妙な手口で攻めてきたものだ。西安スタッフは、美麗な白玉腕輪を付けて嬉しそうにしている。彼は大した戦略家でもあった。


 ここで、提示価格−(農夫+腕輪)=の計算をしてみた。納得できる額には至ってない。どうしよう?しかし、西安スタッフの喜び方を観ていると、もはやこれまでとも思える。ここで戦いに
終止符をうち、店主の提案を受け入れることにした。


 店主は上機嫌で、「少し待っていて。」と言い残してどこかへ出掛けていった。暫くして、大き
な箱を提げて戻って来た。茶葉の詰め合わせセットが土産だそうだ。値引きの方が嬉しいのだが、今となってはどうすることもできない。


 悔いが残る交渉ではあったが、「農夫」のプレゼントには満足している。長い顔と素朴な立ち姿が気に入っていた。この時代は龍や鳥で周りを豪華に飾った作品が多く、農夫のようなシンプルなデザインの品は珍しい。また、農民生活をテーマにした作品も少ない。

 玉は権威の象徴とされていた時代に、何故農夫のような作品が彫られたのだろう?また、依頼人はどんな人物だったのか?多くの謎がある。


 思い出してみると、玉収集を始めた頃の収集品には農夫のような素朴な感じのものが多くある。その中では、鳥の冠を被った楽隊と鳥を背負った動物たちがお気に入りである。鳥たちが、「お側に置いていただいて幸福です。」と語りかけているように感じられるからだ。


 また、可愛い動物たちも気に入っている。何の動物か気にしないで購入したが、磨いているうちに頭から突き出ているのは「角」ではないのか、背中にある2つの膨らみは「こぶ」かもしれないと思うようになった。

 調査してみると、紀元前500年頃に描かれた絵の中に、同じ姿をした動物たちを見つけた。説明には、意外にも「犀」・「駱駝」と書かれてあった。実物とは全く似ていない。それなのに、可愛いと感じるのは何故だろうか?研究してみることにした。


 玉収集のその後-8へ続く。